傷ついた子どもをアーキタイプと呼べるのか?
それは疑問なのですが、ここではアーキタイプの変形として扱うことにします
内なる子どもが自分は酷い目にあったと説明を始めると被害者になります
一時的なことだったら、それはそれなのですが一度始めると案外止まらないものなのです
この被害者意識は一度ハマるとなかなかな抜け出せ無い沼
何しろ責任は取らなくて良いし、不遇の善人と言う一種の特別待遇まで得られるからです
人生に一本取ったような変な優越感が出てくる事もあります
誰それのせいで自分は酷い目にあった
自分は悪くない、と延々と語ります
悲劇の主人公のストーリーに酔っ払っているようです
他者を責めている間は、正義の人ですし、下手したら裁判官です
しかも責任を問われるのは悪いことをしたアイツ
自分は理不尽な目にあった哀れな人間、誰にも責められることはない
逆にエンパワーメント?
やめられます?これ?だから沼なんですよ
この沼にハマってる間は精神的な成長はありません
被害者の正義はなかなかやめられないのです
もし、この沼を抜けたかったら真実を見ることです
出来事の一部分を大きく拡大して見ている可能性が大です
近視眼的に見てないですか?
全体を見れば、その周りにいかに良きことがあったかに気づくでしょう
最後の晩餐のキリストだって、全体を見るから、ああそれだって解るけど
部分だけを見ていたら変なおっさんですよ
全体が理解できていないから、傷ついているということは往々にしてあります
そして、個人としてはその傷は特別なものでしょうが、人類としてみればあなたが初めてじゃない
先に沼に落っこちて、這い上がった人はいる、と言う事です
あなたにもできるんじゃないですか?
傷ついて立ち上がって成功した経験を皆に語る為に傷ついたのかもしれませんよね
そうしたらあなたの傷は、傷ではなくて人類への贈り物となるじゃないですか?
そういう人を皆がなんて呼ぶかしってますか?
そういう人ヒーローって呼ぶんですよ♡
「よっ!ヒーロー」
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