山登り/仲間が歩けなくなった時、迫られる選択

3月のある日曜日、関東のある山で、山登りを楽しむグループがありました。

現地集合、現地解散、メンバーは何人集まるか未定?

行ってみるまで、〈?〉のアバウトなグループです

集まったのは男女取り混ぜ、6人

平均年齢はおそらく60代後半、最高年齢は85歳前後

グループは山の麓にある神社の拝殿を横目に登り口を上がっていきます。

 

歩き始めてすぐに、

集団から遅れ者がある、と全員の目に明らかになりました。

それは85歳の女性でした。  

特に決まったリーダーのいないグループですが、それらしい数人が相談します。

「もう、足に来ているよ・・」

「彼女を先頭にして・・」 が、話し合いは数分も持たず、結論も出ず、

グループはそのまま前進しました。  

 

「ゆっくり行くから、先に行って」

最後尾から声が上がります。

「声が聞こえれば、大丈夫だあ」

距離は広がるばかりですが、誰も歩みを止めません。

このグループは登山上級者の集まりで、歩みが定かでないのはこの85歳の女性と、今日初参加の一名だけでした。

 

 途中、木立の向こうにケーブルカーが見えました。

それは近くにケーブルカーの駅があると言う事なのですが 、誰も気にも留めません。

間もなく一人が先頭グループを抜け、だんだんと後ろへ下がり、85歳の仲間の後ろ、最後尾へつきました。

その後は険しい山道をまるで年老いた親を見守る子(成人している)のように、後ろからついていきます。

 

お昼前、一山超えた時に、このグループは選択を迫られました。

この先のさらに険しい山道に入るか、このまま下山ルートに入るか?です。

グループにはすでに疲弊している仲間がいます。

「今日はここまでにして・・あの人がいるし・・・誘っちゃったんだから・・」

「せっかく来たのだから、もう一山!」

「・・・そうか・・そうか。そうだね♪じゃあもう一山行こうか!」

決断は下され、更に急こう配の道を蟻の行列のように上がっていきます。  

 

さらに険しい山。

どんな事が起きると思います?・・・その通りですよね。

幸いにも事故は起きませんでしたが、先頭グループと最後尾の差は開く一方

時には木立の間に隠れ、最後尾がどこにいるのか?

先頭グループがどこにいるのか互いに確認できなくなる時もありました。

健脚な先頭グループは軽快に歩き、時に休憩して最後尾の到着を待ちます。

でも、最後尾がやっと追いついた時はもう歩きたくてうずうず状態。

結局最後尾が追いついたのを合図に歩き出してしまいます。

距離の差も、体力の差も離れるばかり  

 

この繰り返しが一日続き、下山した時には最後尾二人組はヘトヘト

「無事に下山させてくれて、ありがとうございます」

山に向かって、二人は本気で拝礼しました。

85歳の女性の後ろに着いたのは、その日初参加の初心者。

山の中で二人きりになった時には、無事に降りられるかとても心細かったとか

そして痛感したそうです。

明日は我が身・・・歩けなくなったら、置いていかれる。

 

このグループは現地集合、現地解散のグループですから、全員の確認をとるとすぐに解散

帰ろうと言うその時に、最後尾にいた85歳の女性が叫ぶように言いました。

「遅いからって、誘わないって言うのはやめてよね。また誘ってよ」

皆、笑顔を返して、解散です。

 

「参拝していこう」

「無事に下山できましたって、参拝していこうよ♪」

「そうだね♪」

数名の先頭にいたメンバーは山の麓に広がる神社の境内で、拝殿へと足早に走って行きました。

 

お・し・ま・い

 

長い話になりましたが、ここまで読まれてどう思われますか?

実に、これからに必要な教訓の含まれた出来事ですよね。

次の機会には、その辺りの事についてお話しましょう。

 

きっと、あなたにも何かひっかかるところってあったでしょう?

今日はその辺りをよく思い返すと言うか、落とし込むと言うか共感するでも良いですが

感じてみてください。

今日も良い一日でありますように

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」