もしかしたら、ヘヴィな話と感じられうかもしれませんが
今日の話は【死】についてです。
先日、法事がありまして、そのなかで
「なぜ、3年忌を死後2年目にするのか?」
という疑問が沸き上がりました。
皆、理由を知らず頭を抱えました。
その時、一人の初老の男性が一言
「死なれた方は、死んだ時を一年と数えてるからなんですよ」
と教えてくれました。
ビックラポン!
一周忌はとりあえずの、数合わせのようなものだとか。
あなたは知ってましたか?
私は、全然知りませんでした。
今、突き付けられる<新事実>に愕然です!!
例えば、今日亡くなられた方は、一年前の今日にすでに亡くなっていた。
赤ん坊が誕生までに十月十日の時間を必要とするように、死が成就するのに、一年という時間が必要らしいのです。
生きている人の中で、ゆっくりと死が熟成して行く。
もしかしたら、突然に亡くなられた、と見える方も、その一年前に死は着床していたのかもしれませんね。
死は終わりである
と言う、社会通念のもとに私たちは暮らしていますが
私たちのルーツである、仏の教えは、死は終わりではないと言っているのです。
そりゃあそうか、
私は何度も転生を繰り返しているし、あなたもですよね。
社会が認めていないだけです。
死は再誕生・・悲しみの奥に喜びがある
だから子供の成長を祝う七五三のように、死後もそれに合わせた法要が成されているのでしょう。
私たちは一周忌を終えると、三回忌、七回忌と法要を営むけれど
その場は、故人を懐かしむと共に、新しい人生に踏み出した事を祝ってあげると良いのかもしれませんね。
わたしたちはずっと続いてく命を生きているのですから。
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