愛と恐怖が人の基本的な感情であるなら
恐怖に取り組むということは自分を知るための大事なプロセスとなるでしょう
私たちがまだ野生の輪の中にいた頃恐怖はsurvivalのための有効なツールでした
(これもさんざん言ってきた気もするなあ)
でも、今は色々違いますよね
既に野生の暮らしをしていませんから( ´∀` )
感じてしまう恐怖がリアルに命が危ないものなのか?
想像力が作り出すバーチャルなものか?
私たちは事態を見極める賢さを持つ事がBestでしょう
そのために必要なのは恐怖の仕組みを知る、と言う事かな?
恐いものは一人ずつ違う
なぜ私はアレが怖いのに、あの人は怖くないのか?
と疑問を持ったことはありますか?
個人、個人で恐いものに差があるのです
私は魚が恐いのに、あの人は平気で代わりに蝶が恐い
不思議ですよね?
さっきまで怖くなかったのに、話を聞いているうちに無性に恐くなった、
と言うこともありますよね
恐怖と言う感情は全員が知っているのに、微妙に違いが生じるのです
個人的に感じる怖さって千差万別?
経験の差が恐さの違いがトリガーの違いを生む
幼少期の経験が違う、住んでいたところが違う、家族の形態がが違う
はては過去生の経験も違います
だから恐怖はとても個人的なもの、と言えるでしょう
内側をそっと見ていくと誰しも恐怖に紐付けされた紐があることに気づくのではないでしょうか?
平素はどうということもないのに、その紐を引っ張られるとバランスを崩し恐怖のドツボにはまってしまう
その紐をトリガーと呼びます
これが一人一人違うので怖さに違いが生まれます
しかもそのトリガーが引っ張られたら、いつも同じ結果を体験します
自作自演のドラマに巻き込まれちゃうのです
そこからは現実はありません
現実の上に重ねられた自分だけのドラマを体験していくとこになります
あなたが一番恐れるドラマです
まずは気づく事、次は続ける事
だから、このトリガーに気づくことが大切ですね
どこから始まったのか?
誰が、何がスタートボタンだったのか?
最初のうちは、大したことも出来ないでしょう
今までと同じにドラマは展開するかもしれません
でもそのうち、あっ今、始まった?
と気がつく時が来ます
そうしたらこっちのもの
ドラマから抜け出すことも
違うドラマの展開に持ち込むことも出来ます
いずれ恐怖そのものを無効化することも出来る様になるでしょう
面倒くさいですか?
続ければあなたの勝ちですよ
やめてしまえば人生は脅されてばかりのお化け屋敷になります
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