旅日記⑦/久高島ナイトウォーク

真っ暗な道を一台の車が走っていく。

運転するのはガイドの男性、前方は闇・・後ろもね。

 

(何やってんの私!!)

警報が鳴りまくりですよ。

 

人間だって恐いのに、この闇の奥には見えない何かがいるのよ。

車のライトが当たる範囲外は真っ黒な闇。

 

沈黙が重い。

耐えきれずに話しかけてみます。

「この島は猫が多いですね」

と言うと、すかさず

 

「昔は猫を食べた、鳩も食べた」

(この状況で、そんな話?)

 

うちは猫飼ってるんですけどお

まさに、手に汗握るだな!!!

なんて返せば良いの?

 

「この島には何も無いから」

・・ああ、そういう事かぁ

 

何となく・・・既視感がある、この感じ。

この男の人?

どこかで会ってない?

 

「もしかして、昼間。宿泊交流センターにいませんでした?」

そう言われると、あちらも怪訝そう。

「・・私が食事してる時に」

あちらも記憶の照合をしてる。

 

「ああ、カレー食べてた人?」

そうです、と即答の私

 

あの時、もう一つのテーブルで神様はいないって言い切ってた人だ。

島の人達が話してると思って見てたけど、あの人かぁ。

(あの人が、この人なら大丈夫だ)

 

現実世界への深く錨を下ろしてる人だ。

滅多な事は起こらない。

 

現実的な緊張は消えた。

残ったのは見えないものへの畏れのみ。

 星を見るツアーには集中出来そう。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」