幸せになりたいヤドカリの飼い方

(幸せになりたい♡)、と思うと・・

人ってヤドカリが磯巾着をくっつけるように様々なものをくっつけたくなるみたいですね?

お化粧、フッション、筋肉、知識、階級、車、切りもなくetc.

 

私自身も一杯やってきました( ´∀` )

じゃあ?

一杯やった結果として私は幸せか?・・?

 

管理しなくてはならないものが増えた気がします。

私は幸せなのか?・・それは微妙

 

手に入れたものがあれば、それを失いたくなくて心がざわめくし、

やっと手に入れたそれは

手に入れた瞬間から古びていきますから、次のものが欲しくなる。

いわゆるエンドレスです。

 

ヤドカリが貝殻に磯巾着をくッつけるような真似はやめるべき、

と、おぼろげに思うんですよ。

でもね、でもね( ´∀` )

若い時ほど一杯くっつけたくて仕方なかった。

やめられなかったぁ~~(笑)

 

だって、もっと偉大な自分になりたかったから。

弱い自分は嫌いだったから。

 

「本当の自分はこうじゃない、」

と言うショーもない悪あがき(笑)があった。

努力すればまだ何とかなるんじゃないか?

弱い自分を受け入れたくない。

認めたら負け!みたいなね。

 

もっと華やかな人生が送りたかったなあ。

もしかしたら、スピ的な道を選んだのも現実を受け入れられなかったからかもしれません

 

そして、子は親の真似をする、とよく言いますが

今度は年頃になった子どもたちが一生懸命に、自分の貝殻に磯巾着をくっ付け始めました。

 

他人の事はよく分かる、子どもならなお分かる。

(同じことを始めたなあ・・)

と内心ぼやきつつ、わたしは彼らを眺めています。

 

やっぱり子どもたちも止まりません。

マックスで違う自分になろうと奔走しています。

(やってみないと納得しないもんだ)

やってみて、初めて分かる事もある

『その必要性、Nothing』

 

心のヤドカリに気づいたら

本当の自分と仲良くなるタイミングかもね

生れたばかりのあなたにも私にも、不足は無かったはずだから

 

 

 

 

#幸せになりたい

#幸せとは?

#人としての幸せ

#宇宙的な幸せ

#本当の自分を見つける

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」