まずは今日を生きよう

かつて、あるいは今

機能不全の家庭で過ごさざるを得なかった仲間へ

私たちの成長は、砂漠を歩くがごとくに過酷だ。

生きることが、既に挑戦だ。

 

でも、どんなに徒労のようにに感じられたとしても、私もあなたも成長できる。

赤ちゃんから子どもに大人になれる

 

それは一瞬で起こるかもしれないし、人生の大半を費やすような時間かもしれない。

でも、その時は必ず来る。

朝日が昇るように必ず来る。

 

でも、それが起こるのはあなたが自分以外の何かになれたからではない。

人よりも多くのお金を得たから、人よりも高い地位についたからでもない。

 

その時が来るのは、

私やあなたが。じぶんを忘れなかったから

自分の傷に手をさしのべ、自分に癒しを与えたからだ。

 

この世界にそれがいつ来るのか断言できる人はいない。

確信もない、確認もとれない。

何時の夜を焦燥感で、孤独感で、虚無感で過ごした事か

何度もギリギリに追い詰められた・・・それでも私は諦めなかった。

これからも、何のかんの言いつつ諦めないだろう。

あなたもたぶん諦めない、自分を信じ続ける。

 

そうすれば、私たちはいつか、どこかで笑って出会えるだろう。

仲間を見つける事が出来る。

あなたの瞳の中に私を確認し、私の瞳の中にあなたの姿がある。

人はもう一人を知る事によって、自分を知る。

 

だから、どんなに寂しくても虚無感があっても、憎かろうが苦しかろうが

今日一日を生きる、明日一日を生きる

死んだような人生だと思う時もあるかもしれないけれど、それでも生きる。

 

私達は一人だけれど独りじゃない

だから、生きる。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」