私を呼ぶ姿無き声、駅限定でね

この話は本当あった、今も進行形のお話です。

 

始まりは一年前の事(だから2022年かあ)

未だ最高気温が体温に満たない初夏の頃

 

夜、いつも降りる駅で,改札を出ようとすると

微かに、どこかで・・・声が聞こえた。

 

気のせい?

後ろを振り返っても、それらしい人影は無し。

その時は首を傾げなら改札を出ました。

 

秋が来て、またある時・・同じ駅で改札を出ようとすると

遠くから呼びかける声がかすかに聞こえるのです。

(・・・そんなわけないよねえ。)

 

やはり周りにそれらしい人はいません。

みんな急ぎ足で改札を出て行きます。

改札を出て、後ろを振り返っても、それらしい人はいません。

(なんとなく、母の声のような気がする・・)

でも、母は介護施設でお世話になっており、今も健在です。

それから、そんな事は時々あり、紅葉からクリスマスのイルミネーションに変る頃

なんとなく・・聞こえる回数が増えているような気がしました。

 

そして、年が明けて2023年春

やはり一日出掛けて、いつもの駅に戻ってきて改札が近づくと、

どこからか、女性の声が聞こえる、

 

・・・かすかな声

「おーい」と呼ぶ声。

 

でも、周囲を見話しても、それらしい女性はいません。

スイカをチャージしようと、精算機の前の列に並びました。

そうしたら・・・

 

その声がだんだん近づいて来てます。

そして、すぐ後ろから声が聞こえてきました。

この時に初めて、肉声じゃない、と気づきました。

どこの地縛霊?浮遊霊?ナニコレ?

大慌てで駅を去りました。

 

以来・・・たまりませんよ。

声は聞こえ続けています

 

※2023年9月現在、声のボリュームは夏に比べれば小さくなりました。

 

 

#本当にあった怖い話

#駅で聞こえる姿なき声

##

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」