地球人の<現実の作り方>あるあるレシピno.1

現実はどうやって作られるのか?

あなたは考えたことがありますか?

あまり考えていない?ふむふむ、それもあり。

もう解ってるわい。

なるほど、でしたら今日は切り口をひねって料理のレシピ風にご紹介させてください。

 

まず、ご用意いただくのは、

一つの出来事と一つのimage、あるいは解釈

 

作り方① <事実、あるいは出来事>

事実は何でも良いですよ。

  • 花火を見ている時に、そっと手を繋いだら、振り払われた。
  • 横から自転車が飛び出してきてそのまま走り去った
  • 雨の日に道路わきで子猫を見かけた。

 

作り方②  ①にイメージをミックスします。

こんな感じですね↓

・花火を見ている時に、そっと手を繋いだら、振り払われた。

(嫌われた /なんて内気な子なんだ♡)

・横から自転車が飛び出して、そのまま走り去った。

(良かった!/ 次がありそう・・)

雨の日に道路わきで子猫を見かけた

(お散歩中かあ♡ /きっと捨て猫だ)

事実が誰かの現実になった瞬間です。

 

Real+Image=現実

 

出来事は一つでも

ポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるか?

それだけでも二つに分かれますね。

 

きっと人の数だけ現実は存在するのでしょう。

そして、一度選択されると、修正されるまでずっとそのイメージは採用されるそうですよ

 

自我を持たない自然界では、何が起きようとRealだけ。

解釈がないので、全てがOK

弱肉強食の流転の中で生きていくわけ

食べたものは、食べられて円環が完成していく

食べられることは負けでもなく、弱者でもない。

全体への貢献

 

自我を持つとこれが、できなくなる・・と言うか、やりづらくなる。

自分が大切になりますからね。

自分が可愛いい♡、自分を残したくなりますよ。

 

全体を意識する感性が消えていくのかしら?

自己犠牲とか、憎い敵を愛せ!

とか小難しい話になってくると、またそこで足がすくむ

・・ですよねえ。

 

つい、無理!

と即答してしまいたくなりませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」