私の〈お母さんの味〉は、こんな味

元気ですか?

私はこの間のアレルゲンの話がきっかけでどんなものを食べてそだったのか?

振り返ってみました。

古い話から始めましょうか?

あなたも一緒に子供の頃の好きなものや苦手だったものを思い返してみてくださいね。

まず、人生の始まり(笑)

私は粉ミルクで育ちました。

母が姑と上手く行っていなかったので、常に緊張状態にあり、母乳がでなかったのです。

そして、この姑が異常に手のかかる人だったので、食事の献立はこの人の機嫌を損なわない事を目的に構成されていました。

私に幼少期の記憶はあまり無くて覚えているのは朝御飯は卵

小学生になってから、朝は私が家族よりも先に食べる、みんな寝てるの(笑)

母がオムレツやら目玉焼きを作ってくれて毎日新聞、卵

3年生になる頃かな?母が卵焼きの作り方を教えてくれて自分で作るようになる。

母は低血圧だからと、その後は起きてくれなくなり、朝ごはんは一人で卵を食べる、そのうちウインナーも焼けるようになったなぁ。(笑)

小学校の高学年になる頃には、気がつくと毎日のように夕食は牛肉。

レアで焼いてブランデーでフランベして食べるの。

そこにバターを落としたりした時もあったな。

それがいつの間にか馬刺になって、大蒜やら生姜やらたっぷりのせて食べる。

また、ハッ!と気づくと中華料理の八宝菜みたいなものが続いた時期もあって、食卓には肉と野菜をあげて甘辛く煮ましたと言う大皿がドンと乗るの。

夏のお昼の定番は冷奴、これも毎日食べる、スイカに砂糖をかけて食べる(笑)

冬は鍋

夕方早いうちから煮込み始め、白菜がくたくたになって色もなくなって、うす茶色いどろどろしたものが出来上がる

と、それを美味しいと言ってみんなでホフホフして食べる。

母はお菓子も作った。

パウンドケーキ、マドレーヌ。

秋の遠足に黄金色の焼き菓子を持っていったのが良き想い出。

秋色に染まる遠足のお昼時、黄金色のお菓子を友人たちに分けて歩く。

私お母さんはこんな美味しいものを作るのよ!ってちょっと自慢だったわけ(笑)

パンを作っていた時もあったな。

ロールパン、発酵して膨らむパンが面白くてね。

昔の事だから発酵させる機械もなくて、自然発酵。

ビニールの袋にいれて日当たりの良いところにおいておくとビニールの袋が膨らんでくる。

酵母の良い匂い♥️

こんな感じかな、今思い出せるのは。

他にもたくさんあるとは思うのだけど、なにしろ人生が長くて全てにたどり着けません(笑)

あなたは今晩、何を食べますか?楽しい時間をお過ごしくださいませ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」