やりたい事は出来る時にやった方が良いよ、と言った彼女

先日、自宅で療養中の友人を見舞ってきました。

素敵なお家でしたよ。

それほど広くはないけれど、手入れの行き届いたお庭。

アンティークな家具を揃えた室内、趣味の良さがうかがえました。

 

彼女は抗がん剤の治療を受けていて、あまり状態は良くないと言っていました。

治療のために入院していましたが、家に戻り在宅での治療に切り替えたそうです。

「いつ何があってもおかしくない状態」

と言う説明を聞いて、慌てて出向いて行ったのですが、割と普通でした。

本人は激やせした。

と言っていましたので、骨と皮ばかりなのかと案じましたが、

ノンノン!・・普通でした。

 

20代の頃からの付き合いですが、彼女はその頃からずっとイラストを描き続けていました。

時々仲間と個展も開いていて、何回か見に行かせてもらいました。

可愛らしいイラストを幾つも見ましたよ。

 

そして、今は画集の制作に日々の費やしているそうです。

「50代になったらやろう、60代になったらやろう、と思っていただけで何もしてこなかった。」

「もっと早く、やっておけば良かった」

と、遠いまなざしを向けて言います。

 

「KACOさん、やりたい事は、出来るうちにやった方が良いよ。」

 

お互い、一瞬よりも長く見つめ合っていた気がします。

私は黙って頷き、彼女は紅茶を勧めてくれました。

彼女らしいウエッジウッドのイチゴ柄

イメージ/Wedgwoodではありません

 

 

どんな話をしたっけかなあ?

映画の話をしたり、芸能人の話をしたり、お互いのペットの話もして、気負いもなく、気おくれも無く良い時間でした。

気持ちよく解れたのですが、もう一度会えるのか?

そう思うと、夜なかなか寝付けませんでした。

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」