【死】は、第2の誕生、私たちは終わらない。

もしかしたら、ヘヴィな話と感じられうかもしれませんが

今日の話は【死】についてです。

先日、法事がありまして、そのなかで

「なぜ、3年忌を死後2年目にするのか?」

という疑問が沸き上がりました。

皆、理由を知らず頭を抱えました。

その時、一人の初老の男性が一言

「死なれた方は、死んだ時を一年と数えてるからなんですよ」

と教えてくれました。

ビッ

一周忌はとりあえずの、数合わせのようなものだとか。

 

あなたは知ってましたか?

私は、全然知りませんでした。

今、突き付けられる<新事実>に愕然です!!

例えば、今日亡くなられた方は、一年前の今日にすでに亡くなっていた。

赤ん坊が誕生までに十月十日の時間を必要とするように、死が成就するのに、一年という時間が必要らしいのです。

生きている人の中で、ゆっくりと死が熟成して行く。

もしかしたら、突然に亡くなられた、と見える方も、その一年前に死は着床していたのかもしれませんね。

死は終わりである

と言う、社会通念のもとに私たちは暮らしていますが

私たちのルーツである、仏の教えは、死は終わりではないと言っているのです。

そりゃあそうか、

私は何度も転生を繰り返しているし、あなたもですよね。

社会が認めていないだけです。

死は再誕生・・悲しみの奥に喜びがある

だから子供の成長を祝う七五三のように、死後もそれに合わせた法要が成されているのでしょう。

私たちは一周忌を終えると、三回忌、七回忌と法要を営むけれど

その場は、故人を懐かしむと共に、新しい人生に踏み出した事を祝ってあげると良いのかもしれませんね。

 

わたしたちはずっと続いてく命を生きているのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」