旅する理由は言えないけれど・・

2022年猛暑の中、京都、奈良を旅する

安穏に行けるだろうという思惑をハズレ、結構サバイバルな旅になりました。

  • 1日目:京都/午後からスコール
  • 2日目:奈良/炎天下の中の徒歩⇒春日大社

離島や山奥へ行くわけでは無いので、軽装でパッキングしてます。

靴も一足しか持って来てなくて、後悔先に立たずでした。

 

1日目/京都

午後2時ごろ、四条の辺りでタクシーを降りました。

その時まで曇天なのに、タイミングを合わせたかのようなスコール。

滝のように、川のように雨水が道路を流れて行きます。

おかげ様でずぶ濡れ。

スコールが嘘のように晴れた夜空

外は猛暑でも屋内はクーラーが聞いていますから冷えたら風邪をひきます。

塗れた服と靴を乾かしたくてガーゼのハンカチを何枚か購入。

 

2日目/奈良

春日大社を目指しました。

歩けども、歩けども、社は見えず、(これほど長い参道は初めてです。)

鹿ちゃんが参道の両脇からじっと見つめてきます。

「今日はお呼ばれなんだ、神様はどこ?」

人馴れしていて、参道の両脇からじっと見つめてきます。

何て呑気に話しているうちに

いつの間にかエネルギーの渦の中心を越え、端に来ていました。

これ以上進んでも無駄なので、帰路につきます。

春日大社参拝出来ず。

目的は果たしたのか?(確認)・・・大丈夫なようです。

 

旅は直感を通じてもたらされます。

この数年、こんな感じで国内を海外をフラフラと旅してきました。

が、自分でここへ行こうと決めて出かけた事はほとんどありません。

目的地は自分でも知らない、行ったことも無いところばかりです。

情報はネットからダウンロードするかのように、ある時、ポンと届きます。

その情報をパズルを解くように解いていくと、目的地への旅が立ち現れてきます。

 

旅立ちは自分の意思で決める

現れてきても、行かないと言う選択肢もあるらしいのですが、私は旅に出ます。

旅は日常の枠を超える事であり、自分の限界にチャレンジし、無事に帰ってくる。

と言う貴重な学びの時だからです。

社にたどり着けなかった春日大社の参道

旅は自分のまだ知らない能力や、その限界、自分の新たな側面への理解、などの沢山の恩恵を与えてくれます。

とても意義ある事なのですが、この旅の価値を他者に説明できません。

これが最大のネックです。

 

説明できないと誤解されます、それがとても残念です。

なぜ行くのか??

誠実に説明したいのやまやまです。

が、直感を通じて届けられる情報を、五感しか信じない人にどう説明すれば良いのか言葉を失います。

だって、、魔法か宗教と間違えそうな勢いを感じますから。

 

アセンションしてもなお、天動説で生きている人もいるもので、直感の話は避けています。

「宗教じゃないか?壺を買わされていないか?」

「旅のどこが面白いんだ?バスで行って大騒ぎするだけだろう?」

「遊んでばかりいる(ほぼ妬み)」

カルトじゃないし、どこかの社員旅行と間違えてますよね。

 

家族に誤解されているのが、一番辛いです

他所の方が私の知らないところで話されるので、それは良しとしても、家族に誤解されるのが辛いです。

身内にも私が良からぬことに身銭を使い、遊び惚けていると訝しく思っている者はいます。

それでも、説明できません。

五感で説明できるものが全て、自分が理解するものが全て、神や仏は飾っておくもの・・

そう言うフィールドで生きている人に説明は困難です。

なので涼やかな視線、否定、そんなものを感じながら旅をしていた時もあります。

私の旅は2025年まで続きます。

(遊んでいるようにしか見えないのは、残念です)

高度な科学は魔法に見える・・あれと同じです。

 

旅の準備:見て、体験してたものは理解できる・・らしい。

私の旅立ちの様子を見ていたり、一緒に同行した家族は、見て体験しているので、ある程度は理解しています。

応援してくれてもいます。

 

例えばある日、私が日本地図を開きます。

北海道、東北、関東、と順にページをめくり、四国でストップする。

「えっ嘘?四国なの?遠いじゃん」

「どこ?」

どこなのか、さらに絞り込む、・・高知県

かかる時間は、ほんの 4、5分です。

「四国カルスト?・・・・なにそれ⁇」

 

旅の目的地の決定です。

目をあげると不思議そう、に見つめる子ども二号の目があったりします。

行くタイミングも、似たような感じで決めます。

海外へ行く時は、月の運行に合わせて、動くことが多いようです。

説明できたらいいのですけどねえ、

 

奈良から帰宅後、子ども3号の態度が痛いです。

自分は猛暑の中働いてるのに、遊びに行くんかい?

心の声が聞こえてきそうです。

しかたないか・・と、黙っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」