沖縄、北海道だけじゃない気がするが・・

沖縄も訪れる回数が増えると見えるものが違ってきます。

最初は訳わかんなかったものが、段々と輪郭を取り始める。

 

もしかして沖縄もなのでは?と思えてきます。

ニセコがどうとか、大変じゃないですか

 

じゃあ、沖縄は?と思うと心配になってきます。

沖縄の美しい海岸線、岬、湾はほとんど外資系のリゾートエリアになっていますよね。

気のせい?

沖縄は良いの?沖縄はうまく融合しているのでしょうか?

観光客が行って、なんとかリゾートとかなんとかホテルのプールにお金をドンジャラ落としていく。

そのお金は地元に還元していくのかしら?

 

そのお金は自然外資に流れていくよね?

地元の経済はどうなるの?

豊かになる?

 

北海道だけじゃないんじゃない?

沖縄には伏せられた信仰の場が多々存在するような気がします。

観光名所になっているけれど、うっかり入って行ってはいけないところは厳然とあります。

観光客の目に斎場御嶽がどう映るのか?

信仰を持たざる者たちの来訪を信仰のもとに暮らす人々がとう思うのか?

 

それはもしかしたら、未来の日本人全体の心うちかもしれない。

いやあ、もしかしたらすでにそうなのかもしれないけど。

 

私たち琉球王国この事も、島々の事もよく知らないで

海が綺麗〜〜!とはしゃいでいる。

 

一度は襟を足してかつての人々の暮らしに敬意を評したほうが良いかもしれない。

アイヌもそうだけど、失われた文化、風俗が沖縄にもあると思うんだ。

過去から分断されてしまった今がある、ような気がするなあ。

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」