薄暮に囁く物語7/世界の果てにあると言う子どものための遊園地

昼でもなく夜でもない、薄暮の時に小声でささやく物語。

遠い星々の声が聞こえてきそうです。

 

世界の果ての小さな国の何処かに、それはあります。

【子どもの国】と言う名の遊園地。

 

とても楽しいところだそうです。

屋外、屋内に様々なアトラクションがあり、七色のバルーン、鮮やかな花々、光が飛び散る噴水

一度行ったら子どもたちはもう夢中。

まさに子供の夢がギュッと詰まったような遊園地なのです。

 

その遊園地の一番奥に小さな小屋がありました。

一番奥でもありヒッソリとしているので用のある人しか、そこを訪れません。

 

地上部分は小さな小屋ですが、地下は違いました。

地下深く何階層にも渡る最先端のラボでした。

 

そこにはたくさんの子どもたちが厳重に保護されて暮らしていました。

ある子どもは円筒形の水槽の中で静かに直立不動の姿勢を保ったままじっとしています。

ある子どもはまだ生まれてもいません。

またある子どもは内蔵だけで生かされています。

腕だけ、足だけの子どももいました。

 

人体の一部分であっても、【その子】でした。

なぜなら肉体は容器の中で保存されるだけであっても、自我は生きていたからです。

 

彼らは物理的な自由はありませんでしたが、夢の中で生きていました。

楽しく友達と遊ぶ夢

成長する夢、お母さんに甘える夢、

夢の中で何不自由無い人生を送っていました。

 

夢を見続ける子どもたちですが

彼らはいつか、その時が来ると旅立ちます。

ラボを出る日、誰かの一部となります。

誰かの中で、また夢を見るのでしょうか?

いつか誰かの中で、覚醒するのでしょうか?

 

その時、その誰か、は誰と呼べば良いのでしょう?

だって、誰かさんに加えられたその心臓は、角膜は、自我を持っているのですから。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」