Peru/侵略された国の未来

ペルーを旅してきました。、9日間、ほぼ移動に費やした旅

運搬される野菜の気分が味わえる旅でした。

 

一回目のの旅では、インカの遺跡を多く訪れました。

同時に格差社会と言う社会を知って、ペルーの光と闇を等しく理解した気分でいました。

まずリマに到着して、奥へと移動していくほどにインディオの暮らしに近づいていくようでした。

初めて見る乾燥した風土は、鮮烈でしたよ。

 

 

でも、今回はどこまで行っても、白人社会の手の中と言う印象です。

行くところがそもそも違ったのでしょう。

いえ、そもそもどこに行かない旅だったのですよ。

(旅の日程から察すれば良かった)、と後悔しました

(着いてから、ハッとしても後の祭り)

 

毎日毎日、美食のレストランと移動とホテル、それだけ。

近くにインカの遺跡があっても、行かないんです。

(旅の主催者側がすでに底に価値を見出していない、かのようです)

 

どこかを観光したと言う事より、レストランの事の方が記憶に残ってます。

そこから私が理解するペルーは・・

侵略された国。

セッティングされたレストラン、ホテルは全部西洋の文化。

西洋人のためのリゾート

かつて修道院だったところがホテルに、レストランになっている

 

壁にはキリスト教の、絵画、建物の作りは西洋建築。

(ヨーロッパに来たのかしら?)

と首をかしげる事、多々です。

西洋の人が与えた教会で、インディオが解釈したキリスト像が安置されている。

彼らの思想に合わせたマリア様。

キープは壁の飾りですよ。

 

侵略された国がどうなるか?

ペルーに来ると分かりますよ。

どうやって支配するのか?と言う事も明確に表れています。

国の産業にネイティブは関われるのか?

そもそも人数を確保できるのか?

 

豊かな土地は奪われて、観光客のリゾートになる。

文化は?宗教はどうなるのか?

文字を持たない文明は文字を使わずに教えてくれます。

伝達の方法は文字だけじゃないのです。

最初に見学した博物館に性教育のための土偶のようなものがありました。

 

ビックリして写真を撮るのを忘れましたが

文字で伝えられないので、土偶を作って教える。

現場を3D再現するわけです

 

お産がどんなものか、子どもがどこから生まれるのか

どうすれば子供が出来るのか?

そういう事を後世に伝えたそうです。

↑まるっきし、アメリカンでしょ?

他国に侵略されると言う意味を重く受け止めました。

 

私は日本人なので、母国が自立と言う言葉で評されることを望みます。

日本は不死鳥の国と呼ばれるそうなので、どうかもう一度蘇って欲しい。

と切に願います。

 

今起きている事と個人は関係ないと思うかもしれないけれど

知ったところで、出来る事は無いと思うかもしれないけれど

それが、そう思ってくれることが誰かの望みだったら、どうします。

むざむざ、手玉に取られますか?

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」