得るものと、得られなものの天秤

午後ティータイム。

ほうじ茶の入った温かいカップを両手で持って窓の外を眺める。

窓の外が今にも雨が降りそうだったりすると、つい柔らかい気分にってしまう。

 

人生を振り返る。

長いロールテープのように広げてみる(トイレットペーパーじゃないよ。)

しみじみ思う。

 

(何一つ、思うようになるなかった人生だったなあ)

幼い頃の家族は6人、大人が5人で子どもは私だけ。

いつも祖母が、母や他の家族を虐めていた。

小学校入学からずっと朝ご飯は一人、それが当たり前だった。

(大人は皆、眠っていた。)

 

行きたい高校は選べなかった。

(能力はあったけど、行かせてもらえなかった)

大学も、就職も・・母から離れらなかった。

 

好きな人と結婚することもできなかった。

(母が暗躍した‥と後々聞いた。)

子どもをいつ生むか?は母が決めた。

 

他にも色々あるけれど、思い出したくもない最低なことは多い。

結婚して7年間が人生で一番暗い時期だった。

幽閉されているみたいだった。

何も望んだ事は叶えられなかった。

欲しいものも得られなかった。

でも・・【得られなかった】それが私が得たものだった。

 

人生はトリッキーだ。

得られなかったから、ガッツリと得たものがある。

それが今の私だ。

 

人生に満足していたら?

好きな人と暮らし、幸せに満足していたら?

ここまでは来なかった。

 

強烈な渇望があったから、ここまで来た。

この精神の高み(と、言わせてね)

 

得られなかった事と私が等価交換かぁ

昔、オーラリーディングをする人に言われた。

「何事かを成すだろうけれど、それは社長になる、とか言うことではない」

・・・なるほど

 

でも、出来るなら私は社長さんになりたかったな(⁠╥⁠﹏⁠╥⁠)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入社一ヶ月め、窓の外に見える高層ビルを見て泣いた。

 

3ヶ月目、デザイン部が移転になり都心にお引越し。

(過去から現代にタイムリープ)

ついでに、恋人が出来た。

 

大人の恋は甘かったけど、色々あって別れた。

会社も辞めた。

(母が会社にねじ込んだという、影が差す。)

 

娘が家にいると母、大喜び。

母の友人の甥との見合いが浮上、

祖父にはこう言われ

「お前が結婚しないから、恥ずかしくて町内に出られない」

父も、母も、祖母も、誰もそれを否定しなかった。

 

見合い、

(・・・・ヤダあ)

と思ったけど、言えなかった。

 

今、好きじゃなくても一緒に暮らせば好きになる。

(そう思ったけど・・・無理だった)

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」