報道写真と芸術写真の境界線

つい最近なのですが、あの古い報道写真をSNSでみかけました。

ほらあの〈ナパーム弾と少女〉と呼ばれる写真です。

戦火を逃れ、逃げてくる人々のど真ん中を、全裸の少女が両手を広げて走ってくる、あれです。

 

あれを初めて知った時は驚きました。

女の子が全裸になって逃げるくらい戦争ってひどいんだ。

 

全く疑わずに報道写真であると受け取りましたが・・

今の視点で見ると<あれ>・・嘘ですよね。

事実を伝える報道写真じゃなくて芸術作品なんじゃない?

 

常識で考えて、他の人達が服を着て逃げているのに女の子だけが裸なのはおかしい。

変でしょ?

同じ戦火を逃れて他の人は服を着ているのに、女の子だけは服が無い。

ナパーム弾が服を焼いた?

女の子だけを狙って?

女の子は火傷をおってる風に見えない。

 

しかも、独立して生きる年齢じゃない。

親兄弟がいないの?

親戚でも町内会の人でも良い。

 

誰かが女の子を裸にして走らせたのでしょう?

印象派の絵と同じ作りでしょ?

公園かどこかで、周囲は服を着ているのにピクニックをしている女性だけ裸。

 

マネの絵だっけ<草上の昼食>

と言うのがあったよね?

あれのパクリでしょ?

 

芸術作品なら解るけど

事実を伝える報道写真という括りでは理解できない。

 

女の子が全裸で走ってくるのにシャッター押してる男がいて良いの?

理解出来んわ。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」