目覚めよ、と呼びかける声がする

自分らしく生きていきたい、と願う瞬間が人生にはありますよね

私がそう願った時は、既に3人の子の母になっていました

 

  • 母として生きなくてはならない
  • 母の娘として従わなくてはならない
  • 夫の妻として暮らさなくてはならない

【〜べき】だばかりが人生に輝いていました

 

背負わされた役目、立場

そんなものの影に隠れて〈自己〉はどこかへ行ってしまいました

 

疲れ果てて1日が終わりました。

従うのが当たり前、逆らうなんてとんでもない状態でした

英会話教室に通うと言った時は、夫が飛んできて

「そんな分不相応なことはするな」

と鬼のような形相でいいましたっけ

 

同居の実母は私の外出を快く思いません

月に3回目の外出があると、大変でした

遊んでばかりいると責められました。

子ども会、PTA・・・いろいろあるのに

 

いつの間にか無くしてしまった自分+自尊心

探し出すのは泥の中で足掻くようなものでした

都合の良い私が好きな人たちと暮らしていましたから

私が<私>を思い出すことを誰も望んでいませんでした

使い勝手の良い私でいて欲しいだけ

 

何とか押さえつけたい彼ら

突破して自由になりたい

そのせめぎあいでした

 

そんな中で、暗闇に1条の光が指すように

目覚めが始まったのです

それはあらかじめ用意されたアラームが鳴り響くようなものでした

<続く>

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」