旅日記⑩/久高島in沖縄/ 呼ばれた人が行く島

朝陽の久高島。

あとはナルハヤで島を離れたい。

宿の女将に挨拶をして、そのままフェリーに乗り込みます。

波の後ろに小さくなっていく久高島。

後ろ髪はひかれません。

沖縄本島に戻ると、正直ホッとします。

 

神の領域から、人の領域に帰ってきたのです。

ここは大丈夫。

久高島では太陽さえ陰、涼やかでヒンヤリとした島です。

 

一目散に安座真港を離れ、朝食提供をしてくれるホテルへ直行します。

泊まった宿は素泊まり。

探したら、安座真港から車で20分くらいのところに宿泊者でなくても朝食が食べられるホテルがありました。

エントランスを抜けてテーブルに案内されると、力が抜けます。

この普通の感じ。

まるで黄泉平坂を抜けてきて、ホッとしてるみたい( ´∀` )

 

やはり神ノ島は誰も彼もが行けるところではないし、住めるところでもありません。

本当に神に選ばれた人だけが安住できるところですよ。

神縁が無くては、とてもとても、居られない。

 

久高島には普通の観光客に混じって、日本中から神に呼ばれた人が行きます。

この神に呼ばれたと言う、この感覚をある島人は

「誰も呼んでない」と一笑しますが

 

沖縄という文化圏では、わりとアルアルです。

何しろ、巫女的な女性が連綿と神を祀って来た土地ですから

私自身も沖縄本島で、海岸線にある礼拝所を探している時に土地の男性に場所を訪ねたら

「呼ばれたのか?」

と尋ねられましたから。

でもですよ。

呼ばれてる私が言うのもなんですが、

もしあなたが呼ばれた、と感じるなら

 

  • 何が呼んでいるのか?
  • なぜ呼んでいるのか?
  • 本当に行ってもよいのか?

 

そのくらいは、確認する事をお勧めします。

沖縄という文化の中で、その中に生きる巫女的な、女性を呼ぶなら解るけど

なんで沖縄の神様が、海を超えた関西や東北の人を呼ぶの?

ホテルのプライベートビーチ

どんな縁があるのか?

ここですよ、確認した方が良いのは。

ご縁を確認して、それを納得したうえで行って下さい。

 

私見ですが、

久高島の神は聖なる存在ではあるだろうけれど

決して日本書紀に出て来るような、神ではないと思います。

日本書紀の神々を私は勝手に大和神界と呼んでいますが

いろんな神様がいるもので、人と似ているとは限りません。

 

そして島のルール、価値観を重んじて下さい。

本州の、沖縄本土の当たり前が通用するとは思わないで下さい。

島に暮らす人達に敬意を払って下さい。

 

侮ってはならないものを侮ると、とっても危ないです。

意味も無く、神は人を呼ばないと思うんですよ。

神もいろいろですから

 

久高島の神は決して、力のない神ではないですよ

畏れるべき神です。

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」