アイオーナ/第一印象も、始まりにも旅の吉兆が占える

なんでかな?

アイオーナ島に行った時の事を思い出したので、書いておきます

信じられませんよ、つい2,3年前の事のように覚えているのに10年が経とうとしています。

アイオーナはイギリスの右上の方にある小さな島

その昔はキリスト教の重要な場所だったらしいですが、よく知りません。

ここに約10年前に行ってきました。

その頃はまだ一人旅の勇気が無くて小さな旅行会社のツアーに参加しました。

今でも印象的に覚えていますが

旅行会社の方から旅行が確定、参加人数などを聞いた時、

「あっ、これは揉めますね。」

と言ったら、本当に揉めてしまった旅行でした。

アイオーナを目指すメンバーは4人

イギリスでレンタカーを借りてレイラインに沿った旅をするという趣旨の旅でした。

はるばるセントマイケルズレイラインを辿って行きます。

アイオーナは最後に行きます。

参加人数は私を含む女性3名と添乗員の男性1名の小グループ構成

面白いのは添乗員、元高野山で修業したお坊様

参加者の女性の一人も高野山で修業した人

もう一人は歯医者さんの奥様

何なのでしょうね?

ENGLANDという名にそぐわない仏教風味のメンバー構成(笑)

それでも皆さん年に何回も海外旅行へ行くという強者達です。

高野山で修行をしたという女性からは訝しがられました

「なんで、行こうと思ったのか?解せない。」

彼女の知る占星術では私はじっとしている星なのだそうです。

その星を持つ人間がはるばるアイオーナまで行こうというのですから訳がある。

と読んでいるそうです。

(あなたの縁があって、あなたのお山のボスに呼ばれたの)

とは言えなかったので黙っていました(笑)

初めて会ったわけですから、クスクス。

イギリス到着、さあスタート・・ガシャン!

レンタカーを借りて、動き出した途端交差点でトラックと接触事故

こんなんあり?

私は助手席に乗っていて目の前にトラックが!!

イギリスの交差点は日本と違ってCircleなのです。

円周に沿って車を走らせ行きたい道路が近づいたら円周を離脱。

時差もあったし、ハンドルの位置も違うし、本気でタイミングが合わなかったのでしょう。

今思えば、ついて早々に事故るような旅、ろくなもんじゃないですよね。

帰国してから、私はメンターに怒られました。

「初めてのメンツで行く団体旅行でうまく行くはずがないでしょ!」

ですよね~。

でも当時は一人で行く度胸も金銭的なもろもろも・・

だったのですよ、仕方ないじゃん。

思うわぬ渋滞、Please return to 〈飛行機〉

旅はマイケルズマウント、ランズエンドと周りいよいよアイオーナへ。

飛行機に乗るために、私達はヒースロー空港を目指しました。

これも帰国してから、七歩子さんに言われましたが

「ヒースロー空港は渋滞が起こりやすいから午前中についてないと駄目よ」

馴れた人は知ってるんだ(⁠个⁠_⁠个⁠)

でも、私たちの添乗員は知らなかったんだ・・

私以外のメンバーは旅慣れているので、車内は呑気なものでした

「大丈夫だよ、大丈夫だよ」

「・・の時も大丈夫だったから、今回も大丈夫」

なんて言っているうちに、大渋滞。

捕まってしまって身動き取れない、ついに飛行機ロスト!

乗るはずの飛行機に乗れなかった。

夕方の空港、もうすぐ日没が迫ってきます。

その頃はハイシーズンだったのか、当日手配できる交通機関はZERO。

次の便の飛行機は満席、長距離バスも満席。

はるばるイギリスで路頭に迷う日本人4人。

どうする?私たち

今夜泊まるホテルも無いよ。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」