自己実現は本当なのか?

自己実現は本当に人生の最高の目的なのか?

意識高い系の方が本当に良いのか?

もの凄く疑問に感じ始めました。

私自身今まで自己実現を目指すのは善き事と信じて来たし、さんざんやってきました。

衣食住が満たされるだけじゃ足りない、自分の存在意義が欲しい、

それが知的生命体よ!

そう思っていました。

ちっぽけな自分じゃ嫌だ。

生まれたからには、意味が欲しい。

特上の幸せが欲しい。

さんざんやってきましたよ。

自分で言うのもなんだけど、意識高い系だと思ってました。

でも、その意識高い系の私は

これを↓↓全く知らなかった

世界に比べて、ずっと安心安全な国が、このグラフなの?

犯罪者は監視カメラで追えるのに、なんで?

今日も本屋に潜在意識活用の本が並んでいますが

あれは本当なの?

真であり、偽である

と私は感じます。

確かに潜在意識にはパワーがあるし情報処理能力は顕在意識の比ではない。

けど・・ストッパーがかかっているものですよ。

アホに核爆弾を渡すとヤバいのでロックがかかってる。

それと同じ。

潜在意識の手前には顕在意識があって、まず顕在意識を収めないとうまく起動しないようになっている。

そこをスルーして潜在意識を取り扱うと、結局は顕在意識が邪魔をする。

どっちが卵でどっちが鶏か、みたいなものです。

  • 世界をそのままに見てごらんなさい。
  • 全体の中で生きる自分であることを知りなさい。
  • 宇宙とのつながりも考えなさい。

と言う事から目をそらせたい、意図があるんじゃない?

  • そんな事よりも、自分の世界に埋没していなさい
  • 自分の事(利益)だけ考えていなさい
  • 自分に準じる狭い人々を家族として、その利益を考えなさい。

そうしていてください、その方が助かります。

と言う流れがあるのではないの?

一人の人が自己実現して、望む人生を送るためには、その人に関わる全ての人の願いが叶わない、と言う前提が必要なはずです

この世界は全ての人の願いが誰ともぶつからずに叶えられる世界でしょうか?

オリンピックで全ての人が、金メダルを取れないようになっている世界ですよね。

本当の金メダルは他にあるのに、隠されていて私たちには奪い合う金メダルが提示されている

私たちは偽物の金メダルを奪い合うように仕向けられてませんか?

考えすぎでしょうか?

あなたはどう思いますか?

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」