世界を分けて見たら、空白が出来る

今、この瞬間に立って2024年を振り返ると

前半は忍耐と混乱の停滞期、それを脱した後半の追い込みが忙しかった。

特に、この表の衝撃が半端なかった~。

 

検索ワードで簡単に出て来た表ですが、統計を表す以上の重みがあると思いませんか?

この表は今まで、文字としてしか頭に入らなかったことをストンと臓腑に落としてくれます。

 

【あるがまま】という言葉の真の意味

レッテルを貼ったら、それ以上考え無くなる、と言う事

日本は平和な国だと、納得したらそれ以上考えない。

思考の罠は他にもありますよね、例えば・・

 

二元対立思考が作る空白

良い悪いで分けたら、悪い方が空白になる、と言う事

常識、非常識、日常、非日常で分けたら?

日常の方にいる方が居心地が良くて、非常識、非日常はブルーオーシャンになるという事

たった一つの表がどんな宗教書よりも、心理学の本よりも、スピ的な本さえも超えて私たちのあり方を教えてくれます。

ここからさらにわかることは

安心、安全にこだわりすぎると、私たちは閉じ込められるのと同じになると言う事です。

 

誰に銘じられなくても、自ら危険な方には行かなくなってしまう。

見ない、聞かない、知らないよ、になってしまう。

知らない所で何かが起きていても、知らないので、行動しない。

平和な日常からは残滓さえも見えないから。

 

平和ボケ、と言う言葉もあるけれど

良い悪い、安全危険の思考の沼から離れないとヤバいのかもしれない。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」