高野山から帰ってからの体調の変化

今朝は早朝に目が覚めて東の空を見ると、グレーの厚い雲を押し上げるように赤い朝日が上がってきて、<希望>と言う言葉が自然と浮かびました。

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さて、高野山宿坊のカビ部屋に宿泊してしまった私。

当日の深夜から微かに咳が出るようになり嫌な予感を感じていました。

それからじわじわと蝕むかの様に咳の回数が増え・・・まだ続いてます。

高野山【普賢院】から帰ってからの経過

宿泊が10/24

10/25、下山して大阪に一泊

10/26、帰宅。体が冷えているので湯たんぽを用意。

10/27、ぐったりとして過ごしながら、咳をやり過ごす。

10/28、咳は止まらない、旅の疲れもあると思い休息を心掛ける。

普賢院  女性一名限定の部屋【新下】

10/29、疲労感半端なくこのまま熱が出るかかと危ぶみ、波動調整と自己ヒーリング。
アレルゲンとバクテリアの数値が高い。
木材の葛とか、ホウ砂(急性)スズメ蜂、平素聞いたことも無いようなもの満載。

10/30、咳は止まらないけれど快活に動けるようになる、熱は平熱

10/31、見るからに風邪をひいていそうなのに、平熱

11/01、もうガラガラ声

11/02、咳は出始めると止まらない、(周囲の人ごめんなさい、でも風邪じゃないです)
アレルギーの治療を受けると咳が収まる(ラッキー♡)
変わりに鼻水が・・・

人体のすばらしさを痛感。

異物排出のルートが一つ使えなくなると、使える方にルート変更してくれる。

やらかしちゃったぜのお粗末な話

アレルギーの治療を受けた後

昔ながら喫茶店に入りました。

持っていた本、「クマに会った時にどうするか」を読んでいたら急激に眠くなって・・

爆睡。

「お客さん大丈夫ですか?」

の声にハッとすると

お店の人が心配そうにのぞき込んでいる、周囲の人も・・・

心配されてしまった!!

「眠くなってしまって・・」

と、言ったけれども、注目の人になっている私。

・・恥ずかしいわけじゃないけれど、居たたまれずすぐに店を出ました。

どっとはらい。

#KOUYASANSYUKUBOU/FUGENIN

#KOUYASANSYUKUBOU/FUGENIN/Women-onlyPlan

#KOUYASANSYUKUBOU/FUGENIN/Misogyny

#KOUYASANSYUKUBOU/FUGENIN makes fun women

#高野山宿坊普賢院/危険な女性限定<一名>プラン

#高野山宿坊普賢院/じゃらん/女性限定、<一名>プラン

#高野山宿坊普賢院/女性一名を本堂の奥に宿泊させる意図は?

#高野山宿坊普賢院/悪】な女性蔑視

#高野山宿坊普賢院/女性限定の部屋はカビ部屋

#高野山宿坊普賢の住職さんに聞くのが一番なのでしょうが

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」