親愛なる過去、全てのレッスンをありがとう

親愛なる過去、全てのレッスンにありがとう

この言葉もタロットカードのケースに書いてありました。

スッと胸に落ちます。

人生を表す、なんて美しい言葉なのでしょう。

人生では、誰も彼もが、先に進めるわけでは無い

人生は、歩いてみないと、何があるかわからない。

遠い未来まで見通す、なんてことも無理です。

データの中に未来は無いし( ´∀` )

暗闇の中で目覚めるかもしれないし

気づいたら戦いが日常かもしれない。

すったもんだ、泣きながら歩くこともあります。

悪者扱いされる時も、あるかもしれない。

でも、必ずそれらが必要だった。

意味があったと分かるポイントがあって、そこまでたどり着けば

物語の起承転結を読むように自分の人生に納得します。

分母を作る時間、それが試練と呼ばれる期間

それらは、未来へたどり着くための分母を作っていた。
分母がそろわないと、1になれない。

そのための時間だった。

私もあなたも

「よっく頑張った♡」

と自分を褒めて

この先の道を歩きましょう。

彼らは<今、ここで>堂々巡りをしている。

それはそれで良い、分母を作っているのですから。

でも、私たちは準備が出来た。

だから、私たちは、先に行けない彼らの分も

先へ・・未来へ行きましょう。

未来で彼らを待てばいい。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」