佐田岬の帰り道

昨夜は食べ過ぎたのか、テレビを見ながら寝落ち。

多分9時頃には眠っていました。

 

佐田岬での夜明け

朝5時頃には目が覚めたので、近くを散歩

【魂の目覚めのための13ステップ】の画像を収録しました。

ちょうど朝日が上がってきたところか撮れたので最高♥

今日は来た道を戻って帰路につくのですが

阿弥陀池と言うところに行きます。

 

が、ここがナビの検索にヒットしない・・・

宿の人に聞いて、港で働いてる人に聞いて

最後に郵便局にいた人を巻き込んで、やっと探しました。

人の情が身にしみるのが旅ですね

四国は、真っすぐ行って分岐を右と言っても、その真っ直ぐな道が真っ直ぐとは限らないわけ。

看板もない見晴らししも効かない。

ちょっと関東の平地とは一味違うのですわ。

 

行ってみると、とても静かなところでした。

観光地と言うわけでもなく

日本の自然が自然なままに残っている。

そしてそこで暮らす人がいる。

 

うまく言えないけれど、とても良いところでした。

行っておいてなんだけど

観光客に荒らされたくない所、と思います。

 

そのあと道の駅でお土産をいっぱい買い込み( ´∀` )

アカモク(海藻)猪のお肉とか( ´∀` )

アイスクリームとか( ´∀` )

良い旅です。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」