やりたい事はやるべき事をやってから、は正解?

「やりたい事は宿題を済ませてから・・」

皆が子どもの頃に、一回は耳にしたことのあるフレーズですよね?

これって絶対則ですか?

大人になった時も、これに従うの?

やりたい事(想像して、あなたのやりたい事は何?)は、

  • 仕事をやってから?
  • 子どもを育ててから?
  • 介護をやってから?

やってから、やってから、って言ってたら、

何時、その時は来ますか?

子ども時代のやるべき事は少ないですよね?

でも大人がやるべきことは無限大にある、と思いませんか?

自分で歯止めをかけないと、やるべきことはエンドレスです。

やるべきことをやってから、自分の好きな事をしようとしたら

  • いつまでたっても、手が届かない。
  • 届いたとしても、その時は疲労困憊している。

そうじゃないですか?

やりたい事をやり遂げた人は、

自分のやるべきことを全部クリア、してからやったのでしょうか?

どう思います?

やるべき事の中に、やりたい事をねじ込んだ。

優先順位を変更した。

自分のための時間を作った。

そうやって、何がしかを成し遂げたのではないでしょうか?

だから、私は思うのです

「やりたい事は、やるべきことをやってから」

と言うのは

やりたい事をやりたくない人が言う言葉なんじゃないかな?

ってね。

やりたい事を背負う勇気とリスクを背負いたくない。

安心領域を離れたくない人の言い訳なんじゃないかな?

そして、そう人は大抵、やりたい事をやろうとする人がいると止めますよね。

「やりたい事はやるべき事をやってから」

ってね( ´∀` )

あなたはどう思います?

#アセンション
#NEW EARTH #過去生回帰 #
#仕事と遊びのバランス
#宿題をやってから遊ぶ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」