旅をして思うこと

日本には大きな航空会社が二つありますよね、JALとANA。

羽田を制したのがJALで、新千歳を制したのがANAでしょうか?

そのくらいしか知らないから、偏見かな?

 

ANAは北海道強いですよね。

利尻島に飛ぶ時も、ANAのほうが便利だった気がします。

それにANAが新千歳限定で売ってるハスカップのお菓子が美味しい

 

羽田はJALですね。

ファミリー層からビジネスまで、がっちり胃袋を掴んだJAL.

施設も制服もパリッとっしてますよね。

 

対してANAはなんだかしょぼい。

施設よりも機体にお金をかけてるのかしら?

それにアテンドさんの制服もださああ~、失礼。

もう時代にあってないですよ。

 

ANAは食事処もコンビニエンスなものしかない。

サラリーマン向けの男飯?不味い!つまらない。

窓ガラスは綺麗な方が嬉しい

さんざん言ってしまった。

すみません。

が、美味しい食事処が多いので、私はJAL推しです。

 

また、JAL褒めになってしまうけど

肋骨にヒビが・・と言うと

降りるまで手厚く、ケアしてくれました。

 

アレはさすがだと思いました。

一度に二つの飛行機に乗る事は出来ないので、ANAが同課は言えませんが

きっと十分なケアが受けられたでしょう。

羽田のとある食事処にあります

 

胃袋を掴まれただけでなく、JALに一目置くのはタッチダウンが上手いから。

腕の良いパイロットさんがいるんですよ。

着陸のときほとんど衝撃を起こさずにスーッ滑走路に降りられる。

これには舌を巻きます。

 

今回の鹿児島往復のANAは雑だったな。

蝿叩きみたいだった。

以上、体験から来る感想でした

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」