鬼怒川温泉/人間がいなくなった街の荒廃モデルかな?

一泊で日光の方へ行ってきました

最初はね、日光の瀬戸合峡と言うところに行こうと思ったのだけれど
[クマが出る]

と言う警告が出ていたので

急遽変更⇒輪王寺に行くことにしました。

 

関東でもローカル線での旅はあなどってはならない、しっかり計画を立てよう

何となく宿は鬼怒川温泉にするかあ、と思って宿を確保

関東だから、迷子になることも遭難することも無いだろうと変な信頼があって、ろく時刻表も調べませんでした。

勝手に日光から鬼怒川温泉はもっと近いと思っていました。

が・・・違うのね。

 

日光戦から東武線に乗り換えが必要で、鬼怒川温泉につくと、バスに乗るんだわ。

バスは大人一人200円、駅から温泉街に向けては予約は必要なし、乗車の時にホテル名を告げるとエントランスまで連れて行ってくれます。

 

あれは何?シンボルタワーのように廃墟と化したホテルが見えてきます。

鬼怒川温泉街と言うのかな?・・近づくと

正面にそそり立つような廃墟と化したホテルが見えてきます。

負のインパクトは強いです。

 

その周囲もボロボロのホテルや廃業した店舗ばっかり

(来るところを間違えたかな・・)

一歩間違うとゴーストタウンじゃん。

観光地としては異質な雰囲気です。

 

体を動かしたくて、廃墟のような街並み散策開始

着いたホテルは割と新しくて安心したけれど、コミュニティとしての荒廃ぶりがなかなかなもの

他にすることもないので、荷物を置くと外を歩いてみました。

移動に時間がかかって、ろくに体を動かしていないので、動きたい♡

 

歩いてみると街の荒廃の歴史をたどるような散歩でした。

団体客で賑わっていた時代の終焉、客が減りホテルの衰退がはじまったようです。

それともなって個人経営のカフェやお土産さんが最初に倒れたというところでしょう。

 

観光客が減ると、ホテルはあの手この手で頑張る!

ウエルカムドリンク、お菓子、ゲームに漫画に夜食

客はホテルの中でニーズを満たせるなら、外へは行かない。

 

だから、最初に個人のお店が倒れた、バーもカフェもお土産屋さんも閉店

人がいなくなると植物が侵食してくる

植物に飲み込まれたような廃屋、階段、パーキング

たまりませんよ

人類がいなくなった後の荒廃した街を見ているみたいでした。

 

 

生き残り戦略を間違えた一つのモデルケースかな?

皆、生き残りのために頑張っのだと思うけど

自分のところだけが生き残ればいい、と言う姿勢だとゴーストタウンの中の一軒家になってしまう

人のいなくなった家屋がそのまま残されるって、案外ヘヴィ。

特に大きな建物は、衰退感が半端ないです。

 

あの気鬱な感じだと、これから人を集めるのは難しいだろう、と思えます。

私は次に行くかと聞かれたら、考えます。

 

東北の地震の時に石巻だっけ漁村の人たちが、自分だけ生き残ってもダメだ。

地域としてコミュティとして生き残らなくては意味がないと、言っていたけれど

鬼怒川温泉も同じだったのではないかな?

きっと鬼怒川温泉だけじゃなくて、日本中がね。

 

私達、もうお猿さんじゃないから、野生化して森へ行けば何とかなる・・わけがない。

社会として生き残らないと、無力な存在になってしまいます。

平和に生きていくのにコンビニも病院も、お隣さんも必要でしょう?

それはこの3年を振り返ってもそうでしょう?

 

骨休みに言ったつもりが、なんとも重たい命題を抱えて帰ってきてしまいました( ´∀` )

多分隠されているけれど、同じようなことが日本中で起こっているはず

東京が賑やかであれば、日本は繁栄と言うわけではないと思うな

 

 

 

YouTube/リフォームが終わって、鬼怒川温泉へ

YouTube/リフォームが終わって・・続けてもう少し

 

 

 

 

#みんなで生き残るための模索

#鬼怒川温泉

#生き残り

#ゴーストタウン化する地方都市

#コミュニティで生き残る

#東武線鬼怒川駅

#バス代は200円

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」