ミジンコも鰻も、私たちも完璧な存在です
全ての生き物が生きるために必要なものを、完璧に搭載して生まれてきていますから。
ウサギは兎として生きるために、セミはセミとして生きるために完璧な装備をしています。
足りなかったり、ちぐはぐなものを持って誕生した生き物はいないはずなのです
だって、エラ呼吸のための肺を持ってる牛って見たことあります?
無いでしよ?( ´∀` )
まあ、そこから次の話しに結びつけるのはこじ付けかもしれませんが
私達、人類は生きるために必要なものとして<感情>を搭載されている生き物です。
だから装備されているのならば、感じて良いと思うのですよ、喜怒哀楽の全てを。
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初期設定されているものは使った方が良いでしょう。
生きるために害があるものだったら、そもそも搭載されるはずがないでしょう?
だから感じてはいけないと封じ込める必要はないはずなのです。
でも、私達人間は厳しい経験を積んでしまうと、封じ込めがちです。
その部分を無感覚にしてしまうのですよ。
(見たくない、聞きたくない、思い出したくないから)
一時的にはそれでも効果ありです。
でも長い時間の経過というものを思慮にいれた時には、どうかな?
長い間、感じないようにしたものがあるという事は、心にも負荷がかかりますよ。
感情の取り扱いにも段階がある
本当であれば私達は幼い頃に、全ての感情を満喫することがベストなのかもしれません。
本能的に笑い、泣き、怒る、そして喜ぶ
そして、理性の発達と共にそれらを、上手に修めることを学ぶ。
破壊的でない怒りの表現方法を知り、静かに涙する術を身に付ける。
そして、充分に成熟した時には怒っても良いし、あえて怒らなくても良い。
自分で選べるようになる。
それは皆が大好きなゼロポイントを探す事に似ているかもしれませんね。
例えば怒り、ただ怒っているだけじゃ疲れるだけ。
だけど怒りのポジティブ面と、ネガティブ面を知ると、自然と怒りがゼロになる場所を見つける事が出来るようになる。
要するに怒りを手放せるわけです。
敵とは和解してゼロポイントを目指そう、それが進化かも
いつまでも、怒ってはいけない!と、一極片寄りな意識でいると対抗勢力を引き寄せてしまいます。
他力本願で中立ポイントを探すので、いつまで経っても戦いのストーリーから抜け出せません。
二元性のシステムに閉じ込められてしまいます。
二元性のシステムは閉じ込めるための枠を作るシステムではなく、打ち破って外へ出るためのシステムです。
この宇宙では、二つに分けてから、まとめる的な流れが主流なのですから。
なるべく早く善悪に分けるのをやめて、全体を知るポイントを探しましよう
それが出来るのは魂が成長した証。
私たちが目指すのは点でもあり、全体でもあるポイント。
二元性の仕組みの世界に生きているわけですから、自我の目覚めは大抵、対立の中です。
何らかの対立構造の中でもみくしゃになりながら中立点をみつけ、バランスを学んでいく。
激しい感情を知るのも、それを浄化して手放していくのも、進化の想定内かもしれません。
私たちの感情的な傷は帰還ルートを示す羅針盤です。
傷を辿って行けば、私たちはゼロポイントへと、自然と向かうのでしょう。
全てが一つと言う、そのポイントへ
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