〈私〉たちはもれなく、全員が限りのある時間の上を歩いています。
そして、もれなく全員がその事に気づかないふりをしています。
死がある日、突きつけられると理不尽なものであるかのようにあわてふためきます。
大体の人が未来は漠然と良くなると信じながら漠然と死を恐れています。
誰かが私たちは肉体だ、と言い。
他の誰かが、いや魂だ、と言い。
また違う誰かは潜在意識だ。と言います。
それだけでは、本当の私たちにはたどり着きません。
私たちの本質とは有限の時間そして空間、それが<私>を形づります。
私たち全員が漏れなく共有するのは
死と誕生、それだけです。
私たちは終わる時間を忘れるために
意識を集中するものを求めます。
何かに夢中になりたい。
何かに心を奪われたい。
そして時間を忘れたい。
けれど、それらのほとんどは肉体を失うと霧散してしまいます。
次元を超えて行く軽さはありません。
誰かが駆け上がろうとするピラミッドは崩壊し、貨幣も紙に還ります。
必死に捕まえていた誰かは、違う次元へ向い、振り替えることもありません。
何が残るのか?
あまねく通用するものはあるのでしょうか?
おそらく愛は残るでしょう。
だけど、それは私たちが知っている愛の概念とは少し違う。
愛は情ではありません。
では、何か?
愛を知るための言葉は無い?もしくは少ない。
私たちはまだ、答えにたどり着いてはいないようです。
コメントを残す