理想とは?綺麗に飾って眺めるのが一番かも

世の中、目的達成!とか、自己実現しよう!と言う元気なスローガンも多いけど・・

(でもそれって、本当?)

と真夜中に目が覚めた時に思いました。

 

理想とは遠くで、美しく輝いてる星のようなモノなのでは?

あなたはどう思います?

富士山は遠くから眺めるのが一番美しいって言いますよね?

これは富士山ではありません

 

 例えば、ソウルメイトと出会って、恋をして永遠の愛を誓うのは最高かもしれないけれど

ソウルメイトは隣町で暮らしてるの?

もしソウルメイトが北極の方にいて、一度も聞いたこともない言語を喋り、

オットセイを追いかけて雪原を走りまわっていたらどうする?

夜には一緒に北極星を見上げながら、オットセイの刺身を食べる?

 

完璧なソウルメイトを探していたら、60代になってしまった、はアリ?

周りドンドン、結婚したり、子どもを作ったり、幸せを形にしていくのに、一人頑張る?

ソウルメイトにこだわらなければ、得られた優しい人間関係もあったのではないかしら。

たとえ理想とは違っても、ソウルメイトでなくても

出会える文化圏の中で、同じ年頃で、そこそこに同じようなことが好きな人を選ぶ方がよくないかな?

それって妥協?・・良いじゃん。

 

妥協するって言葉が、ネガなだけで実際はポジなものなのではないかしら??

例えば、【調和】と言う言葉に置き換えられないかな?

 

そこへ行くと理想って良さそうでいて、分離を深めていくような気がしない?

理想のもの以外は受け付けないんでしょ?

自他共に首を絞めてしまうのではないかしら

 

人生、全てが得られるわけじゃない。

与えられたもの、巡り合えたものにどのくらいOKが出せるか、かもしれませんね

理想と言う名の蜃気楼に惑わされないのは賢いかも。

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」