母と子の繋がりは生物的なもの
父と子の繋がりは社会的なもの
と以前、誰かから聞きました。
私自身の幼少期を思い出すと、父は私が起きる前に家を出て、眠ったあとに帰ってくる人でした。
それを寂しいと感じたこともないのですが、大人になった私には、言葉にならない寂しさがありました。
【誰も愛してくれない、必要とされていない。】
なぜなのか、原因も特定できないままネガティブな決めつけがあったのです。
これは苦しいです。
ある時この<誰も>って、いったい誰なんだ?
と自分に問いかけました。
現在に原因があるようではありません。
どんどん過去へと意識を戻していきます。
自分でも驚きました。
影に潜む悪魔のように、私をなじって否定していたのは父親でした。
現実の父ではなく私が作り上げたイメージの父です。
現実の父は温厚でしたから。
過去の自分に同調していきます。
すると、言葉を持たない頃の記憶が甦ってきます。
私が傍にいても、ものを見るような視線を向けて、仕事へとでかける父
私には話しかけもせずに、もくもくと食事をする父
おはようも、ただいまも言わない父
それは幼かった私にとって、悲しいことでした。
自分が認められていない、必要とされていない、愛されていない。
と肌で感じ取ってしまったのです。
言葉を持つ年齢だったら、大人の私は簡単に見つけられたでしょう。
「それは違うよ、お父さんは・・」
と、過去を新しく解釈も出来たでしょう。
でも、あいにく言葉を持たなかったので、当時感じていた感情は意識の底へと沈みました。
そして、呪いのような力を発揮したのです。
『お前には価値はない、誰も必要としていない』
自分の中で自動的に始まる文脈だから、疑いもせずに真に受けしまったのです。
でも、種明かしをして見れば幼い頃の、幼い解釈。
面白いもので、大人の自分がこの事に気がつくと、その部分が成長を始めるのです。
- 気がついて
- ビックリして
- なるほどと納得したら
いつの間にか、考えもしなくなりました(笑)
だから、世のお父さん方
お母さんのようになる必要もないけれど、お子さんに関わりましょう。
動物的な体感覚で愛を伝えましょう。
目を見て、笑って
抱っこしてあげましょう。
何度も何度も、ですよ。
がんば!
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