懐かしいな、人生とは幸せになるもの思っていた若かりし頃。
当たり前に、幸せになるために生まれてきて、ハッピーエンドを経験出来ると思っていました。
振り返ると甘々な自分と苦笑いしたくなります。
でも、私なりに認めたくなかったのです。
人生がいろいろあるものとは。
お釈迦様が言うように人生が四苦八苦であるとは。
だってせっかく生まれて来たのに、身も蓋も無いじゃないですか?
そう思いませんか?
お釈迦様がそうは言っても、自分はそうならない人生を目指す。
四苦八苦でない人生もある、そう信じたかったのかもしれません。
だって人生が四苦八苦とは
若ければ若いほど、幼いほど、受け入れがたくないですか?
あの頃の私はイヤだったなあ。
でも、そのうちだんだん分かってくるのです。
ハッピーエンドのままに生活は出来ない、と。
ハッピーエンドは日常の中に溶けていき、また何かを求め始める時が来る。
人生は終わっては始まるものらしい。
さらには、人生って一方通行のものでもないらしい、
と、気づき始めます。
得たら手放すし、拡大すると萎むものらしい
無限に片方だけで完了するものでもない。
何持たずにこの世界を訪れたように、何も持たずにここを旅立って行く。
ゼロを目指すものかもしれない・・と。
日常生活のもろもろに思考が中断されると
秋風の吹き、星が美しく瞬くころ、また夜空を見上げては、
「・・・生きるって何かな?」
と、問いかけてしまうのかもしれない。
彼方からの答えを求めて。
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