精神的な道を求めるものの究極は<心の平安>
と、耳にしませんか?
<心の平安>
そんなつまらないものを・・・
と初めて聞いた時には思いましたね。
そんな、ただそれだけのものに何の価値がある?
途方もないサイキックの力を得るわけでもなく
この世を左右するような支配力や地位や、名声を得るわけでもなく
ただ、植物のように酸素を二酸化炭素に変えて、のほほんと昼寝でもするのか?
若さは、それを良しとはしませんよね。
もっと刺激的に行きたいし
自分の力を試したい、刺激も欲しいし
世界の果てがあるなら、知りたい。
だから・・心の平安なんて絵に描いた餅にしか感じられない。
建前としては求めても、心は戦いを求めている。
そんなでしたなあ。
ここに来て、やっと心の平安の意味するところが理解出来て来ました。
心が平安でないと、いろいろ引っ張られるんですわ。
駅を歩いていると、声なき声が聞こえてきたり・・・・
この夏は心の平安について熟考しております。
言葉は不便なものですな
その事象、出来事、状態を一つの単語で表すと
それ以外で考えなくなってしまう。
心の平安も違う言葉での置き換えが可能です。
そして、そうやって多角的に捉えた方がより、理解が深くなる・・はず。
今夜あたりは満月ですかね。
少しばかり涼しい風が吹くと良いです。
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