出来事の外側に気づく程、平和は早く取り戻せる

2022年春、世界の一隅で戦火が上がっています。

メディアが危険なニュースを報道しない日はありません。

まるで定期的に餌を供給される家畜の様に、決まった時間に、恐ろしいニュースが流れてきます。

その恐ろしい映像は本当なのでしょうか?

私たちは直接、戦争の音を聞く事も、匂いを嗅ぐこともありません。

モニター画面から見る、その絵しか知らないのです。

何を言いたいか、解りますか?

気がつけばすごく簡単なのですが、案外見落としがちな事かもしれません。

正確に見るためにも、ちょっとだけお付き合いいただけますか?

それはトリックのようなものかもしれませんから。

 

絵には外側がある事を理解しておきましょう。

2022年現在、ウクライナの問題が日本国内でも不安を掻き立てています。

例えば最近・・耳にした言葉なのですが

「戦争をしている人たちは、みんなコロナで死んでしまえば良い」

長閑な整骨院で突如、上がった声でした。

ビックリして辺りを見回すと、小柄で優し気なおばあさんがいました。

いかにも優しそう善人そうな外見からはミスマッチな言葉です。

この年齢なら優しさや母性の象徴でもあろうに・・・

幼い子供向けのテレビ番組の様な勧善懲悪の話をしているのです。

悪は滅して当然と。

 

いつの間に戦隊もののストーリーを吸収したのでしょう?

勧善懲悪があるのはテレビの中だけですよ、おばあさん。

大人なら疑いましょう。

これだけ人種、国、宗教、経済が複雑に入り混じった世界で

善悪がはっきり浮かび上がるなんてことは簡単すぎます

 

モニター画面の絵には、こう描きたいと言う作り手の意志が見え隠れするものです。

しかも私たちは極東の小さな国に暮らしているのです。

歴史的なつながりにも疎いのです。

何をどう判断できるのでしょう?

そこの解説って耳に入った事ありますか?無いでしょう。

「・・・・だから、○○が悪い」

その文脈だけが聞こえて来ていませんか?

古代ローマの頃からの、スピーチ術ですよね。

 

情報は熱くならず、賢く受け止めましょう。

モニター画面に一つの画像が映しだされる時、

その外側にあった<いらない事実切り捨てられている>と言う事を考えましょう。

それを、頭のどこかに留めておきたいですね。

モニター画面に映らないところで

  • 誰が誰の首を絞めているのか?
  • 誰が誰の手を支えているのか?

私たちは知ることが出来ません。

平和な世界を生きるためには、まず見せつけられる絵を疑う事かもしれません。

少なくともモニターの中の絵には、製作者側の意図がある事を知っておきましょう。

 

善悪などバランスが極端に崩れたものほど、ニュートラルに受け止めましょう。

そして判断を避ける事です。

白黒をつけた途端に渦中の人になります。

中立に見なくては本当のところは何も見えて来ません。

外側から見ると言う客観性も大切です。

これが出来るようになったあなたは一筋縄ではいかないでしょう。

あなたから平和を奪う事は難しくなります。

 

まとめ/事実と作られた絵は違う事に気づけば、意図さえ探れます。

事実はそのままですが、作られた絵はどうとでもなります。

そこを理解しておきましょう。

そして、そのうえで判断を控えましょう。

状況に巻き込まれないためです。

冷静に客観視するがベストです。

 

そうすれば、あなたには物事の本質が見えてくるはずです。

絵を見せたいと思っている側の意図にも気づくでしょう。

 

こうなったら、あなたから平和を奪う事は難しくなります。

あなた自身が平和で、かつ平和を発信するのですから。

 

 

 

 

近郊の風景2022

by KACO

by KACO

 

 

#Re:born  #人類の目覚め #進化

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」