許し、この崇高なもの
人類に課せられた、遠大なテーマ。
これによって、お前は本当に知恵があるのか?知的生命体と言えるのか?
と、問い掛けられているかのようです。
あなたは人生で何時だったら許せざる敵が許せるのか?
誰だったら無条件に許せるのか?
諸々の出来事のうちのどれだったら許せるでしょう?
さあ、難しい問題です。
偉大なる聖人なら未だしも、ごくごく普通に生きてる私たちは・・・どうしましょう。
気持ちよくすっぱりと許せますかね?
許せない、その正しい理由を投げ出せますか?
昨日は許せたけど、今日は気分じゃない
「首絞め上げてやらないと、気が済まない~!」
あるあるだよね。
赦すと言ったその舌のかわかぬうちに許せなくなる。
それで良いんじゃない、私達人間だもの。
その瞬間、その日その時、出来れば良いんじゃないですか?
さっきも言ったように、私たち人間だから、神じゃないから。
それだって、瞬間瞬間の許しをつなげて行けば、点が繋がって線になるように、許しだって続いていく。
今はそれで良いんじゃないかな。
遠い未来までも許すよりも、この瞬間今を許す事が出来れば良いんじゃないかな?
明日になったら、また新しい許しを実践して行けば良い。
幼い子どもが喧嘩しても夕方にはそれをチャラにして、また翌日新しい遊びを始めるように。
私たちも幼い子どものように、許しては、また許す。
天気予報だって当たったり外れたりなのだから、あなたが気分で許せたり、許せなかったりは、可愛いものだと思いますよ。
ねえ、完璧さを求めるよりも、出来る事からやっていく地道な作業があってますよ。
あなたもわたしも根は可愛いんだから、そのくらい許されますって(笑)
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