食べ物の事から始まって、いろいろと書いてきてしまいましたが
食べる事の向こうに死がある。
と言う事を考え出すときりがないですね。
皮肉と言うか、<生きる>と言う事の秘密が隠れて良そうにも感じます。
生きたい、と思うのも
死にたくない、と思うのも
生きていればこそ、の全員が思うところでしょう。
だけど、人間だけなのですよね、命乞いをするのは。
野生の生き物は生きる時は全力で生き、死ぬときは潔く死にます。
助命を願う、その気持ちはわかります。
私だって、去年の手術の時、その前年の家族の突然の次元移動の時
死と言うものに、震え上がっていました。
死がゼロ距離にある、と思える時
私もそうでしたが、達観したり、あくまでもポジティブシンキングでとかは無理でしょう
震え上がるもの、緊張するもの、
他に何があっても当たり前の時だと思います。
真剣に死を考えなくてはならないし
エネルギーレベルは落ちるし、光や温かみは遠くなる。
それでも決断しなくてはならない、選択は迫って来る、するべきなら行動も厭わない。
こういう時は真剣に恐がれば良いし、逃げれば良い。
ただ、死から遠い時、それは少し退屈しながらも平和な日常が続く時ですよ。
人生に死の影も無い。
ざっと見渡して実生活に死が見えない聞こえない、匂いもしないなら
死がモニター画面の中にしかないなら・・・
それはもう、生きてるんですよ。
あなたの中で生が輝いている、エネルギーレベルも高い。
だったら、こういう時こそ大胆な行動が取るが吉な時
こんな時に影しか射していない死に怯えてどうする?
脅しに乗って踊ってどうする?
と、私は思う
即、尻尾まいてどうする?
いつ自分を試すの?死んでから?
完全に死から守られて生きる生き物はいない。
ああ、働かなきゃ!3時に保育園へお迎えに・・
最後のチョコは譲らない!
などと生きているエネルギーは振りまくから死が逃げていく。
分かっていて、踊ってるなら良いわよ、それはそれで。
本気の時は・・・哀れよ。
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