閑話休題 / 中国茶の威力

娘が先日、横浜の中華街を訪れたのです。

でね、お土産に買って来たのが美味しい中国茶

苦みが無く、えぐみも無く砂糖とは違う甘みがあるとか

しかも不思議な事を言ってまして

「飲んだら、お腹の調子が絶好・・・」

「?」

 

昼下がりに飲ませてくれたわけですよ。

日当たりの良い窓辺では猫が団子になって寝てますし、娘とお茶を飲むのはそれなりに幸せの構図と言えなくもない

お茶は娘が絶賛するほどの美味しさは無い、どっちかと言えば草っぽい味。

けど、にっこり笑って美味しい、と言う

 

お茶の中身は白いキクラゲみたいなものと3、4種の乾物のブレンド

娘の話を良く良く聞けば、漢方なのか、お腹の調子が良くなるらしい

「そうなの?」

特に何も感じないけど・・ふうんて感じです。

 

問題はその後でした。

日暮れ頃、娘は友人と食事に出かけ・・私はと言えばあれ?

微妙にお腹が痛い・・でも、こんなものなら可愛い。

ところが、夜の七時ごろには冗談じゃない話となり

どんどこ、どんどん・・・→トイレ!

どんどこ、どんどん・・・→トイレ!

どんどこ、どんどん・・・→トイレ!+リバース

そのうちもう出すものも無いわいってな感じなると状況は次のステージに移った。

 

お腹の中から音がする。

狸が太古叩いてるの?

ポンポコポンポコ、音がする!!!

でるものが無いなら、空気だけで出せ!的に絞り出すようにもう、もう

お腹の底から絞りだすが如くにガスが出て行く!!何度もね。

 

もう、もう・・私は娘に一服盛られた?

と、疑いましたよ。

 

中国茶、飲んだのは小さな湯飲みに2杯か3杯

こんなすごいのは初めて!

全然アセンションとは関係ない話なのですが、あまりの非日常なので描いちゃいました。

ビックリ休題、どっとはらい。

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」