麻賀多神社/ 戦争を回避するために思い出す事がある②

前回に引き続き、麻賀多神社でいただきましたメッセージを続けます。

もし何かピンとくる部分がありましたら、そこを大事にしてください。

 

麻賀多神社/メッセージ②

自分だけになってしまってはいけない。

完全に自分の望みが叶う、と言う事も無い。

我を捨てる、全体の中に生きる自分を思い出す、一人では生きて行けない。

 

自分の国だけ生き残れば良いと言うものではない。

(自分が)生きるためには他者が必要なのだ。

全部で生き残らないと繁栄も平和も無い。

 

正義は視野が狭く、自分の国だけが生き残れば良いと言うのは幼い。

大人の知性は共生と言う事を知っている。(ミツバチと花)

お互いにお互いを必要としながら、繁栄する事は可能です。

 

その転換が無ければ、未来も無い。

今は潮目でもある。

 

宇宙的な転換期に入った。

to be continued

 

 

 

 

過去記事ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Message/ <麻賀多神社>建て替えの時が来た

Message/ <麻賀多神社>オロシヤから来るものがある

Message/ <麻賀多神社>目覚めの時が来る

 

#麻賀多神社 #神津の杜 #宇宙の転換期

#正しい正義 #正義は視野が狭い

#自分だけ生き残っても、文明は無い。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」