愛の階段・・それも螺旋のね

若い頃、まだ自分の未来も定かではなく、でも夢だけは目一杯持っていた頃

私にとっての愛とは・・恋愛でした。

 

やがて、母になった時

愛の最高のものは<母性愛>なのだろう、と思うようになりました。

けれど、我が母親を顧みて、それは紙一重なのだろう、と母性愛の危うさを理解しました。

やがて、私はスピリチュアルな世界へ足を踏み入れるようになり、愛は恋愛よりも母性愛よりも、遠くなりました。

 

愛はハッキリとは理解できない

でも、それはより大きな視点から物事を見るもの、全体を包括してゆくものなのだろうと推察していきます。

愛は<自由>とセットのもの

それから愛と情は別物である事を理解して、愛と支配も別物、依存心は愛とは違う。

体験を通し理解していきます。

それは時に痛みを伴いました。

 

<愛は感情>ではない、と仮説を立てて行く

至極冷静な何か・・だ。

愛は超理性を必要とする、洞察力も真理を見抜く目も必要です。

それは私たちの日常、情と言う立ち位置から見ると、冷酷で無慈悲と言えそうな面もあるらしい。

 

<無条件の愛>・・・愛の最高峰に佇むもの

それが究極なのだろうけれど、たどり着けるのか?人の身にはひどく重くないか?

何時かたどり着きたいと思いながら、歩く道

天空に輝く星に手を伸ばし、手が届かない事にじれったく思いながら、また歩く。

それが今の私の愛の階段の立ち位置かもしれない。

愛の階段は螺旋を描き、高みへと私を、

そして人類を導くのだろう

全人類の憧れ、なのに、まだまだたどり着けない無条件の愛。

全人類の目の前にぶら下げられた人参だろうか?

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」