大晦日の争いの種の種明かし

大晦日の夕食の一件は心に引っ掛かっていたので新春を迎え、

・・謝罪しておきました。

「あの時のすき焼きは確かに味が薄かった。」

不快な思いをさせて悪かった。

と、恐る恐る口にします。

こっちも導火線の短い爆弾のような奴だから、言ってる方は気が気じゃない。

 

カミソリのような言葉が飛んでくるのは覚悟の上で、ひとこと謝罪

でも、よくよく聞くと逆鱗に触れたものは食べ物ではなくて、エアコンのほうだと分かりました。

自分は寒いところで、仕事をしてきて、体を温めたいからエアコンとストーブもつけたのに全部消された。

「人のためと言いながら、自分って良い人!と浸っているやつは嫌いだ!」

なるほど、そう言う事だったのかあ、全然気づきませんでした。

 

気遣ってほしかったら、説明しないと・・家族は神じゃないから

「でも、一言も自分が寒いところにいたとは、言ってないよね?」

「そんなのは言わなくったって分かるだろう?暖房を必要としてるんだから、寒いんだよ。」

(いいえ、分かりません。)

だって君、幼い頃から暖房大好き子ちゃんだったじゃない?

服だって、おこたのなかで温めてから着替えてたよね?

またか!としか思わんかったよ。

まさか寒かったなんて初耳

 

想像したい現実があるなら、情報を与えないと現実化は難しい。

丸投げじゃあ、無理!

丸投げのままお互いがお互いを未熟者と呼んでいてはなあ

「子どものまま大人になった大人が嫌い、実力の伴わない大人が嫌い」」

と吐き捨てるように言われてもなあ、難しいな。

それは狩猟採集民の発想で、ここは農耕民のお国だから。

 

私たちの社会に三つめの選択肢はあるのか?

私たちのご先祖様が定住を始める前の社会は、狩猟採集をメインとした超エリート社会。

シマウマやライオンと同じく完全なものだけが生存を許されて、弱ったら淘汰されて行く社会。

農耕を始めた私たちは、それから一転し産めよ増やせよ、と

生存に一定の水準を設けず、産んだら育てます、という社会を構築してきた。

農耕には人手が必要で、アホでもなんでも人が必要だったから。

前者は完璧な遺伝子を後世に残せるけれど、超厳しい淘汰社会。

後者は優しいけれど、遺伝子の劣化が約束されている社会。

高次元世界で高次元に合った社会形態を模索する私たちは、どんな社会を作って行けばよいのだろう?

未来には、肉体を必要としなくなるポイントが用意されていると聞きます。

三つ目の社会形態は?電脳社会だったりして?( ´∀` )

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」