家族とはシャドーは紙一重

新春早々、波乱万丈の私。

娘の件です、あのナッツ・・

実はあれの他にも揉め事の種はありまして・・

家族とはお多売を映し出す鏡、下手をするとシャドーの集まりなりかねない、と痛感しました。

 

一年の締めと、未来への展望は紙一重

大晦日の事です。

普段別々に暮らす家族も集まっての食事のチャンス。

この期に、団欒を持って、未来から振り返った時の良い思い出作り・・と頑張るのですが現実は厳しい。

例年ならば、日が暮れるまでまで大掃除をして、お蕎麦屋さんから届けられる年越し蕎麦で夕御飯、そして紅白です。

でも、今年は帰省した娘が

「お肉が食べたいし、お蕎麦も食べたい。」

と、申しますので、我が家としては法外な、すき焼き蕎麦の二本立てとしました。

(気を使ってるんですよ、分かります?)

例年の天ざるを諦め、私が蕎麦を茹で、すき焼きは娘が担当する事になりました。

 

家族で食べれば、どんなご飯でも美味しいはテレビの中だけ?

午後六時、家族全員集合!

テーブルを囲みまして、蕎麦とすき焼き。

美味しいご飯のはずが・・蕎麦は固かった。

初めて買った北海道の蕎麦には小麦粉がいっぱい入っていた、もう信じない。

(お蕎麦屋さんのお蕎麦で良い。)

すき焼きは・・・・・・・黙々と食べました。

娘が料理を覚えたのが小学生の頃の事

以来黙々と食べる訓練は出来ております。

が、家族の中には、そうでないものもおりまして

 

いつでもどこでも、正直が良いと言う訳でもない

「味がしない」

それを言っちゃダメ!と思う一言をいう奴がいる。

冷や冷やしながら、食べてます。

でも、ガメラとギャオスは臨戦態勢に入りました。

「味がしない?そうかな?そんなこと無いよね。」

(やめて、笑顔で同意を求めないで!)

「に・・肉の味は豆腐に染みてるよ。」

と、私・・精一杯なんだけど、娘には届かない。

「そう言うことじゃないんだけど」

ちょっと言葉が剣呑になりながら、立ち上がりました。

戻ってきた時には、右手にみりん、左手に醤油。

 

勝負は可憐に意外性を持って、決するべし

あっ!・・・と息を呑む間に

ドバッ!とすき焼きにかけたぁああ!

・・・・・。

もう誰も何も言いません。

その後は皆、沈黙して食べたような気がします

もう、とりあえず食べ物を噛んでるだけ、味もしないよ。

再び沈黙を破ったのは

「ここは・・エアコンも、ストーブも全部消すんかい?」

気づくと暖房器具が全部消されてます。、道理で寒いはず。

この乾燥でアトピー悪化している家族がおりまして、そのために娘が全部消していたようです。

慌ててつけたけど、後日。

「もう、二度と行きません」

と言うLINEが入ってきました。

太極図のようにぴったりのサイズ感で相反してます。

こいつらを仲良くさせるのは精神的進化がお互いに必要。

ハッキリと分かった瞬間でした。

シャドー!お互いに相手が悪いと思ってるカルマメイトでしょうね。

 

大嫌いな奴、良く見ればシャドー

大体において、大嫌いと思う人は

自分自身の受け入れられない嫌あな部分をあらわに見せつけてくれる人です。

あの人のあの部分が大嫌い、と思わずに自分を知るツールとして見ると、精神的、霊的な成長進化が順調に進むと言われています。

本当に核心的な嫌な部分を見せてくれるので、冷静さと抽象的な概念の理解など、いわゆる高い視点が必要となるでしょう。

 

 

 

 

 

#2022年の大晦日

#すき焼きと年越しそば

#女の戦いは可憐に

#シャドー

#自分の姿を映し出すシャドー

#進化と成長

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」