正しい怒りには気をつけよう。

すでに、アセンションを果たした世界でのスタンダードは、戦わない。

・・なのに、またやってしまったなあ。

そっと仕掛けられた卒業試験に気づかずに、また引っかかってしまった感じ。

(KACOさん、もう一周ね)

どこかでそんな声が響いていそう。

 

カルマの卒業試験の課題は<娘>?

戦おうと思ったわけではないのだけれど、結果的にやっちまった感が、あるある。

それと言うのも、娘の事です。

お正月からご馳走を食べ抜いて、たった一かけらのナッツの粒に食べ物の恨み、と言ってきた娘、ですわ。

そもそも怒りの感情は恐怖よりはポジティブでパワーがある。

そして、とっても根元的な流れと繋がっているので、巻き込まれている時は・・ある意味、恐怖よりも扱いが難しいかも。 

 

怒りの後ろには<正しさ>がある・・・これが曲者

どういうことかと言うと怒りの後ろには大抵<正しさ>が控えているから、だから自分の感情を疑わない。

『自分は正しい、なのに理不尽な目に遭ってる。』

これですわあ、落とし穴は!

この正しさは証明しなくてはならない。

傷つけられた正しさは回復しなくてはならない。

そう言う気分になってしまう。

だって、正しいのだから。

ここがねえ、間違いのもと?なのかしら。

正しいはずなのに、怒りのエネルギーが去ったあとは空虚さが待っていたりする。

 

善悪に分けないで、正義を証明しようとしないで、三つ目の選択肢を見つけよう

怒ってる人の周りに、人は近づかない。

たたしい怒りには気を付けよう。

圧倒的なエネルギー量で従うほかないと感じるかもしれないが、それは嘘だ。

正義と悪に分けない。

これを肝に銘じて置かなかなくては。

 

ついつい正義が悪を滅して、大団円を迎えると言うストーリーが沁みついているからねぇ。

第三の選択肢を見つけよう、それはきっとある。

隠れていて見えなくなっているかもしれないけれど、ある。

 

私は見つけそこなってしまったなあ。

あの夢にたどり着くための新たな道が始まったのかあ。

新世界のお約束は、戦わない。

頑張ろう!・・そして2025年を超えて行こう。

 

 

 

 

#アセンション #2025

#2023のお正月

#怒りと正義

#正しい怒り

#恐怖と怒り

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」