人道的な中絶と非人道的な妊娠、どっちがどうよ。

その話は何の話から始まったのか?そうアトピーの話からでした。

重金属の排出が重要だと言う話になって、それから出産はデトックスだと言う話になったのでした。

そこで私が、さらに付け加えた・・

「放射能を浴びた時は、出産をすると良いそうだ。」

聞いていた彼は顔をしかめました。

この話はまだ若い20代の頃に人から聞いた話ですが、私はそれをなるほどと受け止めていました。

が、目の前の彼はそうでもないようです、私は続けました。

「だけどね、この話を人に言うと、大抵引かれる。」

と、私は不思議そうに言いました。

「だろうね、人道的に、ちょっとね・・」

(へえ、人道性を問うんだ?)

サバイバルに人道性ねえ?

と、私は割りきれる私は冷酷なのかしら?卓上の論だからかしら?

昔々、まだ生まれていない命よりも、生きている命の穂が重要度が高い、と言ったやつがいたなあ。

 

日常的な中絶はあるのに、放射能のそれは人道性を問われるの?

リアルな話として受け止めれば、確かに体内での動きを感じ始めたり、テレパシー的な会話を始めたら、真っ先に躊躇するのは、私かもしれない。

だけど、歴史を振り返れば、もっとどうでもいいような理由でそこそこの事を人間はしているじゃないか?

何で、中絶は良くて、放射能から逃れるためのそれはあかんの?

非人道的と言われるの?

なぜ放射能ではダメで、日常的なそれはOKなんだ?

屁理屈だろうか?

人道性と問うなら、女に中絶させるなよ。

三段論法かな?

まず、自分が生き残らなかったら、全体の未来も無い。

そういう状況でしょ?放射能どうこうは。

まず一定数が生き残らなかったら、滅亡って事なんじゃない?

平素の人道性を持ち込むのは畑が違う気がするが・・・

 

過去生では、もっと凄いことやっていたからドライなのかも

ただ、別の見方をすれば、私は過去生の記録があるから、耐性があるのかもしれない。

私には、その辺りの人道的と言う観念が紙切れ一枚ほどの重さしかなかった過去生の記録がある。

それは限られた人数の集団で生き残らなければならないという厳しい人生の記憶だ。

情緒とか個人とか、よりも種の生き残りが優先。

個人の尊厳とか、紙切れ一枚ほどの価値も無かったなあ。

幸い科学力はあったけれど、社会は蜜蜂よりも厳しい縦型社会。

一日は「命令に従う」それだけだった。

人道的な理由を持ち出したら全滅するような状況だったわ。

だからかな、放射能を浴びたら、とか言う話を聞くとムクムクっと当時のスタンダードか甦る(笑)のかも

 

マイノリティの意見ですよね、笑って聞き流してください。

実際そんな事は起きないだろうし、起きても全く違う事を言ってるかもしれないから。

 

 

 

 

#放射能のデトックス法

#生理も出産もデトックス

#過去生

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」