一年の計は、お菓子の分け方にあり?

一年の計は元旦にありとは言うけれど・・・

元旦は何とか乗り越えた、初夢も良かった。

 

輝かしい未来が提示された分、そこへ行くための反動として現実が起こるのだろうか?

夢見とは真逆な方へ人間関係は渦を巻いて、剣呑になっていく。

 

際どい母と娘の関係。

30歳で帰ってきて18歳で戻っていく娘?残ったのはくたくたの母。

娘のいなくなった家はやたらと静寂、閑散としています。

彼女が帰って行ったのは二日前の事。

陽も暮れた6時ごろ、娘は車に乗り込み、見送る私の顔も見ずに去って行きました。

・・・以来、連絡なし。

 

娘の沈黙に、やっちまったぜと自分を責める母

  • 無事についたのか?
  • 何時ごろ着いたのか?
  • どんな風な帰路だったのか?
  • 仕事始めに間に合ったのか?

 

親は気になりますよね?なりませんか?

しかも身の内には罪悪感たっぷり。

娘の無言は、<許さない>の意思表示のようで怖い

言わなければよかったのか?

恥をかかせたのか?

真実を突きすぎたのか?

もうもう、堂々巡りですわ。

 

落ちたナッツ一粒は、幸福になるためのスタートライン?

30代になろうと言う娘の何が逆鱗に触れたのか?

それは穏やかなお正月のお茶タイム、それも10時頃の事ですわあ

残り物のチョコ、3ピースをシェアして、お茶にしようと言う話になり、紅茶を入れました。

チョコはナッツが乗っかったお洒落な物。

本来は円形なのでしょうが、食べやすいようにかな、砕いてあります。

チョコは特大、大、小と言う感じ、私は念のため一番小さいものを取りました。

娘は大を取り、残った者は特大。

その特大を娘が二つに切り分け、私はまたしても小さい方を取りました。

が、見るとお皿の上に小さなナッツの欠片が一つ、落ちている。

「も~らい!」

と言って、口に放り込んだら・・・それが運の尽き。。

チョコが体内で胃を通り過ぎようとする頃に、こう言われました。

「食べ物の恨みを一つ言っても良いか?」

「私のチョコにはナッツは何も乗っていなかったから、落ちたのくらい食べても良いかと思っていたら、ママに取られた」

私の言い分を展開します。

私も娘が頬張るナッツ付きのチョコを羨ましく思っていて、あれくらい良いだろうと思って食べました。

 

同じこと言ってる。

この段階で、私のシャドーだ!

と気づけばよかったのに、気づかなかった私。

娘は不機嫌のまま、代わりの甘いものを求めるけれど、

買い物にも行ってない冷蔵庫に甘いものは無い。

 

シャドーを攻撃しても、空振り、ダメージは自分に返ってくる、を地で行きました。

娘が、何にへそを曲げているのか?不思議なままです。

あれだけ食べたのにナッツの一かけらの何が、そこまで?

だから・・・つい。

言っちゃったの

あれだけ食べて、なぜ?的な事を言い、とどめに

「それって、貧しい。」

 

それがいかんかったのかねえ?

「そこだけ、見れば、私は貧しいかもしれないけれど。ずっと我慢していた」

「ママは自分のことしか考えていない。それを言ったら傷つくと思って、言わずにナッツのことだけ言ったのに」

だ、そうです。

 

この世界は二元性、ポジティブに向かう前には一旦ネガティブへ傾く。

彼女のとの関係は恙なく、円満に回復する事を切に望みます。

この話を聞かせた私の友人達は

「両方子ども」

「短気」

あなたはどう思います?

 

ああ、気分良く暮らしたい。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」