新年/一日で関東を制覇?してないのは千葉県だけ

一年の計は元旦にあり。

私の元旦はこんな一日でした。

 

まずは川崎大師、そして関東制覇

早朝、6時の電車に乗り、一路川崎へ

目指すは川崎大師

二年くらい前に車で一度来ていますが電車は初めて。

駅を降りて少し歩くと、もう屋台、屋台屋台通り?と言うくらい屋台がある。

 

数えきれない屋台に、胸が(胃が)時めきます。

昨今、減り続ける屋台もここでは健在です。

くずもち、ケバブ、肉、チョコバナナ歩けば一通りのものが食べられそうです。

(やるなあ、弘法大師)

弘法大師ゆかりのお寺は大体、賑やかですよね。

東寺然り、千葉のあれ、成田山新勝寺、うちは交通安全のお札を貰いに祖父が行ってました。

お参りして、境内を散策、こここそ屋台が楽しい。

そして熊手を購入、それから、そそくさと帰る。

 

関東制覇後はプランBに切り替えて、日光を目指す

いったん帰宅、熊手を置いて、次に目指す場所がある。

日光中禅寺湖

一年の計は元旦にあり

一日で茨城→埼玉→東京→神奈川→栃木・・制覇していないのは千葉県だけ

一体今年はどんな、一年になるのでしょう?( ´∀` )

大急ぎで着いた日光は、降りた途端に冷たくも吹き抜ける風、まばらな人。

目の隅には、雪がチラチラと・・・。

(もう少し、賑やかかと思ったのだけれど・・・)

中禅寺湖はさらに温度が下がり夕方には、もっと雪。

 

自由になった、わが身に気づく

(自由になったものだな)

と、昔を懐かしく思います。

育った家は成人してもなお、三元日は家にいるのが当たり前。

皆、退屈が当たり前で、テレビを見て過ごす。

お正月に家を離れるなんて、絶対にあり得ない話。

社会的にも、まだまだそんな感じだったのかもしれませんけどね。

でも、横に流れてゆく雪と、耳が悴むような冷気の中で

改めて、自由になった我が身を知りました。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」