今年一年を振り返ると、許しと言うものを考えさせられる一年でした。
<許し>と言うのは言い換えると
あの蜘蛛の糸、芥川龍之介のあのお話、あれのことよ。
あれは許しと言うものをうまく表現していると思う。
だけど、人間とは未熟なもので
『許してください』
と言われると
生殺与奪件を与えられたと勘違いする・・人が多い。
許しを乞われた本人は、相手の心臓を握りしめたような優越感を感じているのかもしれないけれど
まな板の上に乗ったのは許してください、
と言った人ではない。
自分が垂らしているつもりの蜘蛛の糸は自分のところに降りてきている。
本当にまな板に乗ったのは・・わかるよね。
許しを乞われた方の人間なのだ。
この時確かに、天国に生きるか、地獄に生きるかの選択権が委ねられたけれど
誰のか?と問われれば、許しを求められた人のだ。
自分は相手の命運を握ったと思っているかもしれないが
実は、握りしめているのは自分の運命だったりする。
だから・・・
出来ようができまいが、背伸びしていようが
『許します!』
と言ったもの勝ち。
たとえ瞬間的にしか許せなかったしても、
その瞬間、あなたは天国に生きることに同意したことになる。
そして、人間は過去をベースに生きるものなので
この先、あなたは天国に生きた自分をベースに選択をしていくことが許される。
天国を基に生きていける。
一度できた事は何度でも出来る。
次はもっと簡単に出来る、と言うことだ。
そして、許さない。
と言う選択をした人は、当然蜘蛛の糸は切られる。
明日も怨念の地獄を生きることになる。
健康と運命が左右されるのも、当然の理だ。
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