術後2週間をすぎて

まだ、長文は書けません。

目が疲れてしまって

手術当日は深夜の静寂のように感状が消えて、たんたんと手術を受けました。

まるでSF映画を見ているようだったよと軽く話

とんでもない無感覚にしないと越えられないくらいに震え上がっていたはだけだ!

と気づいたのは13日目頃

落ち着いてきたのはその後の事でした

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 早速ですから話を聞いてください。私は現在関東の片隅で暮らしています。ごく普通の人間ですから、ご安心してください。 ただ、あまり話し上手とは言えません。聞き苦しい点もあるかもしれないのです。それでもおつきあいいただけるようでしたら、どうか私の秘密の話を聞いてください さあ、始めましょう、私が生まれたのは小さな商家です。 20代で結婚して、その後は両親、祖父母と同居、ずっと母が傍にいる人生でした。母が私から離れたのは介護施設に入った時です。それまでずっと私の人生にくっついていました。 人生で初めて親離れ出来たのは数年前、家から母がいなくなったときはすっかり気が抜けてダウンしてしまいました。重く大きい存在感の母でした。 私の人生の大半は、母との攻防戦に使ってしまったと思います。 成長したい私と子どものまま傍に留め置きたい母の闘いです。 後々分かるのですが、この母親とは過去生からの縁がありました。何度生まれ変わっても対立してきた魂だったのです。命を取り合い、国を滅ぼしあった仲です。今生は家庭が戦いの場。一つの関係の中に複数の人生が絡み、因果の解消を余儀なくされていました。 幼い頃は魂の記憶は封じられていますから母が誰だかわかりません、母を勧善懲悪の世界の正義の味方のように思っていました。実際、家はDV家庭で悪役の祖母がいました。平素は大人しいのに、時々人が変わったように怒りを爆発させます。父も祖父も収める事が出来ず、母が盾になり、家庭を、そして私を守ってくれていました。 一人っ子だった私は母の傍で大人しく育ち、絵をかいたり本を読んだり空想の世界で遊びました。反抗期も無く母の望む通りに育った娘でした。初めて反抗したのは結婚した後でした。 続く