幼い頃に地震で被害にあった・・という記憶も無いのですが地震が超苦手でした。
振り返れば思春期の頃から、徐々に怖くなった気がします。
日中の活動中に地震が来たことが無かったのが、不幸中の幸いでした。
夢中で気づかなかったのかしら( ´∀` )
あの頃、地震は夜、家にいる時に起きていました。
部屋で一人で勉強している時に、ぐらっと来ると一目散に両親のいる部屋まで逃げて行きました。
やはり親の傍にいると安心したのでしょう。
私は地震が始まると、決まって「世界の終わりだ!」
と思ってしまうのです。
そして、一目散に逃げて行く。
両親は意味を深く考えることも無く、笑っていました。
私もそこに深い意味を感じることも無く、そのまま成人し社会人になり結婚しました。
そして、乳飲み子を抱えるようになり・・まさにその時、・・地震が起きました。
腕の中には首も座っていない赤ん坊、部屋の中には私だけ。
結婚前の私なら、一目散に走って親の元に逃げていました。
一番おそれている、世界の終わりが始まったのです!
恐い!・・逃げて行きたい!
(乳飲み子を置いて、逃げて行こうか?)
刹那に迷うのですが、出来ません。
この子を守らなくてはならない。母は強いですねえ。
その時、生まれて初めて地震から逃げませんでした。
腹くくったのです。
揺れる部屋で、次に何が起きるのか?じっと気配を伺っています。
すると・・・大きかった揺れは次第に収まり、
世界は終わらなかったのです。
(地震が起きても、世界は終わらない。世界は続くんだ・・)
・・・カルチャーショック!!
「地震は収まるんだ・・・」
知らなかった・・・。
不思議とそれ以後、地震が起きても世界が終わると恐怖する事はありませんでした。
2021年のあの地震の時にも、私は落ち着いていました。
テレビ画面の中の荒れ狂う波見た時には意外な気持ちでした。
(あの中に私がいない・・・。)
乳飲み子を抱きながら、私が学んだことは大きいです。
【恐怖は正視すると消えて行く。】
腹くくって見つめれば、真実が見えてくると言う事です。
力技で恐怖と戦う必要もない。
時に恐怖と対決する、というような勇ましい表現も聞こえてきますが
でも、その<対決という言葉>は象徴的な意味合いであって、戦いを意味するわけではありません。
その対決するの意味するところは:静かに観察する・・です。
恐怖はあなたが冷静な瞳を向ければ、静かに収まって行くでしょう。
目を背けた時が猛威を振るう時です。
真っすぐに見つめると、脅しは効果が無くなって行くようなのです。
案ずるより産むがやすし、試してみてください( ´∀` )
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